【 マーケットの向こう側 】vol.1 羽間農園 羽間一登(後編)

 

奈良フードシェッドと五ふしの草の共同編集で特別連載。

 

「なりわいを聴く」「作り手の暮らしを観る」ことをテーマに、街のファーマーズマーケットやファームスタンドがガイド的に寄稿するインタビュー記事です。マーケットや、地域の農家さん、関係する八百屋さんや繋がるいろんな作り手、食べ手の方々の裏側というか、奥行きに触れていただけたらと思います。1回目は羽間農園。企画のスタートアップで気合が入り、長くなったので前編後編に分けています。今回は後編です。

 

/ 聞き手: 船尾佳代/ 写真: 中部里保/ 編集: 榊原一憲

 


 

「木の寿命があって菌の寿命もあるし、」

 

__ 羽間農園の茶畑へ

羽間 ここは全部ぼーぼーだった草とか取り除いて再生した茶畑です。始めたときは機械とかなかったから手でチョキチョキして手で収穫してたけどもなかなか量が作れなかった。新茶になるまでの間に草とか、いろんなものを取り除いて、1回全部散髪して古い葉っぱをちょっと刈り揃えて、新芽が揃うように綺麗にします。冬の間、ちょっと雪とか積もって、しもやけみたいになってるのはあんまりいいお茶になりにくいから一旦ざーって落として、その先っぽから新芽がもうすぐしたら出てくる。一般的には八十八夜って5月2日ぐらいやけど、この辺は寒いから半月ぐらいあとの5月の中旬ぐらいに新茶が取れます。秋に白い花が咲いて、それが種になって。昔は茶の実油とか作ってたみたいで、まだうちそこまでやれてなくて。集めるのになかなか大変だから。

__ 落ちている茶の実を見せてくれた。
「それは違う、鹿のフンやわ」と息子くんに言ってる羽間さんの声が聞こえた。

 

 

茶の実はこんな見た目です。

 

(羽間農園のしいたけへ)

__ たまにマーケットには羽間さんのしいたけが並ぶ。肉厚の原木しいたけ。羽間さんが住んでらっしゃる集落は山あいなので茶畑や田んぼのすぐそばに山、森が迫っている。少しひんやりと薄暗く、ところどころに太陽の光が差し込むしっとりとした山。冬に少し山奥からくぬぎの木を切ってきて、切り分け、菌打ちをする。2年でしいたけが出始めるそうだ。「しいたけの菌も自家採取できるんですよ。」と驚くことをおっしゃる羽間さん。しいたけの菌の自家採取なんて聞いたことがない。

羽間 しいたけの自家採取ってすごい危険な方法でね。しいたけって雷が落ちた瞬間にバフって菌が出るらしくて。だから雷が鳴り出したら、しいたけのところに走って行って、しいたけの下に何か広げて待つ。ボカーンて雷落ちたら、菌がバフーって出るからそれを集める。そんな危険な自家採種はもう命がけ。無理やね。しょうがないから菌は種苗会社から培養したやつを買ってる。

__ なんだかそれもやってみたいって思ってるんじゃないかな、いつかやるのでは、と、こちらが思ってしまうくらい羽間さんは何でも自分でできることはしようとする。

羽間 単純に自分たちの生活でも、あったらいいなって思うはなるべく作るようにしてて、しいたけあったらいいなで作ってたら、めちゃくちゃいっぱい取れるから、干しいたけにするし、タイミングよくマーケットがあれば売ったりもしている。

しいたけって菌打ってから2年目に出始めて、それが3年か4年ぐらい出て、だんだん木が自体がめっちゃ柔らかくなっていって崩れていって土に戻る。一応その終わりがあるんです。寿命があって。木の寿命があって菌の寿命もあるし、だから大体4、5年も経ったら土に還っていく感じ。16年、そのサイクルでやり続けてる。うえのほう見てみて。あれはずいぶん前に終わった木。

__ 奥に見える原木はもう朽ちていて木なのか土なのか分からないくらいだった。その場で足踏みしてみると驚くほど土がふわふわしている。

木をきりだして、菌を打ち、余すところなく栄養をいただき、朽ちた木は土に還り次の木の養分になる。まだ切ったばかりの硬い木、2、3年目の木、朽ちた木。原木のサイクルが一度に見渡せるその光景を見て、私は「次の代が農業をしやすいように手渡すことを考えている」と羽間さんがおっしゃっていたことを思い出した。羽間農園さんのお茶には「自然発酵紅茶」という紅茶がある。何気なしに「自然発酵」と読んでいたけれど、この「自然」というのはガチだった。羽間さんは細い山道の入口に連れていってくれた。その道は羽間さんの集落の方々が田植え前と稲刈り後にお米の収穫を祈願しに参拝される社へと続く道だ。

 

 

羽間 ずっと上までこの道が続くんです。ここの葉っぱとかをまず取り除いてきれいにしてここに収穫してきた茶の新芽を3日間広げるんですよ。普通は緑茶とか発酵させないけど紅茶は発酵させるんで。ここで、森の空気と湿度と風で3日間かけて茶葉の酵素を巡らせる。紅茶にするための発酵をここでやります。夜もずっとこのまま広げといて、朝昼晩の攪拌を3日間。普通は発酵機でやるんですけど、うちは保管設備がないんで。道でやります。

__ 「発酵を道でやります。」その相容れない言葉の組み合わせに驚く。昔からのこの辺りの製法なんですか?

羽間 いやいや、なんかここええんちゃうかなって思って。湿度とか気温とか。

__ 「なんかええんちゃうかな」に、また驚く。羽間さんは紅茶の発酵ができそうな場所を肌感覚で見つけてしまったのだ。あの美味しい紅茶は本当の自然の力で発酵したものだったんだなと。その場所を羽間さんは自然と見つけた。発酵できる道を眺めながら「自然」ということばの意味を考え直す。

 

(ワイルド茶畑へ)

 

羽間 ここが全然開墾してない元々の茶畑で。ここの茶畑はイベントでみなさんに茶摘みを体験してもらうところ。木と木の間に通路を作って歩けるように準備して、イベントではこの先から出る新芽をみんなで収穫します。茶の木の迷路みたいになってる。開墾する前の茶畑ってみんなこの状態だったんです。すごいワイルドでしょ。

__ 手入れされた茶畑とは違って、背丈以上の茶の木が広がる。茶畑と言えば、こんもりとかまぼこ状に整列したあの景色を思い浮かべるが、ここは違う。茶は「木」なのだとはっきり分かるところだ。

 

“ 茶畑を休ませる ”

 

羽間 ここの茶はちょっと弱ってて、今は収穫はしてなくて管理だけしてます。もうちょっと復活してきたら収穫するつもり。うちの農産物は全部無肥料で作ってるから、やっぱり収穫ばっかりすると弱るから休ませるときも必要で。ちょっと今お休み中の茶畑です。ここは元々めっちゃできてた全盛期のときもあったけど、今は結構枯れてる枝が多くて、いったん若い枝を育てないと無理やなと思って。今5年休ませてるかな。ようやくここまでになってきた。下手したら枯れてしまってたかな。収穫ばっかりしてたら。茶畑は何ヶ所かあるから、ローテーションで。お茶は一回植えてあったらもうずっといけるから。寿命は静岡で400歳の木もあるって言われてるから、多分僕が生きてる間になかなか全部枯れることはない。お茶はすごい強い木だね。でも、減ってきたり弱ってきたら休ませないと。採り続けてたら枯れる。

__ 採りきってしまわずに、ご自身の寿命を超えても茶の木を生き続けさせる。耕作放棄された茶の木を受け取り、整えて、多くは採らずに、そして次の代に良い状態の茶の木を渡す。サイクル。ローテーション。受け取って、手渡す。大きな流れ、サイクルの一部に羽間さんがいる。

__ 羽間さんが作れるもの作れないもの

羽間さんは、なんでも自分で作れないかなと立ち止まる。お米、茶、野菜、しいたけ。そして味噌、酒、みりん、梅干しなどなど日々の食べ物は自給されているものが多い。

羽間 あとは塩かな。塩くらい作れるやろと思って塩も作ってます。海水汲んできて薪で煮詰めて、塩とにがりの結晶できて。以上。かんたん。味噌とか梅干し作るのに塩は絶対いるから。

__ なんと塩も自給。ご家族で旅行されるときに海に行き、タンクに海水を汲んでくる。とてもきれいな海があるそうだ。薪でご飯を炊くかたわらで、海水が煮詰められていた。

羽間 こうすると無駄がないでしょ。

 

 

__ 羽間さん、逆になにが作れないんですか?

羽間 卵は前にマーケットに出てたふじたに農園さん。砂糖は宮古島、油は鹿児島のものかな。オーガニックのもの。砂糖と油も自分たちで作りたいんだけど、難しくて。100%自給して自己完結するのもいいけど、世の中には同じような思いで作られている方もいるから、そういうつながりから買うのもいいなと思って使わせてもらっています。顔の見える人から買いたいから、作っている現場を見に行かせてもらったりして。商品に使う材料と普段の食事の材料も同じですよ。自分たちが食べるものと分けてない。正直高いけど、それができるくらいには成り立ってきた。最近はすべての材料を奈良で地産地消もできたらいいなと思ってる。マーケットの中でも、出店者さんの材料を使って何か作ったり、お互いの作ってるものでさらに何か作ったりして、行き交って活発になったらいいなというのは一番思ってて。うちの米粉使ってくれている出店者さんもいてくれるし、うちもはちまつ養蜂農場さんのはちみつ使ってるし。どんどん活発になったらいいね。

__ それ、私もめっちゃ思ってるんです!マーケットスタッフとして今後の展開に夢が膨らむ。。

 

 

「もうそんな狭い世界の中で争ってもしょうがない。」

 

__ これからの農家へ

羽間 農家同士も特に種の問題はあって、うちは自家採種して、持続可能な形ででやろうとしてる。この隣の桜井市の山奥でやってる僕の昔からの友人の野菜農家がいてて。種がネズミに食べられたらしくて。だから今日うちの余分にとってある種を渡してきところ。野菜ってだいたい1年に1回しか作れないから、種がネズミに食べられたりするってことは今年野菜が作れないってことやから。そらホームセンターとか行ったら売ってるけど、安心な種ってもう入手できにくいから。自分たちもちょっと多めに取っといたらこんなときに分けられるし、自分だって予備としてもあった方がいい。そういう種の連携とか、種以外にも、道具とか特に農業機械は買うと高いし、1年に1回しか田植えも稲刈りもしないから、そういうのを貸したりとか、お互いそうやって連携していくのが大事やなと思う。

五ふしの草さんとか大阪で八百屋さん同士集まって「連売」っていうのを週に1回してるでしょう。これからはそういうのが大事になってくると思う。同業種って昔やったらライバルだからみんな、うちはうち!みたいな感じでやってたけど、もうそういう時代じゃないもんな。農家同士も八百屋同士も助け合って共存していかないと。もう農家ってどんどん減る一方だから、年寄りがどんどん亡くなっていって継ぐ人もいない。もうそんな狭い世界の中で争ってもしょうがない。何とかもうこれ以上農家が潰れように、普通の一般の人も含めて食料を日本の中でちゃんと自給できるようにしていかないと。連携して、お互いあるものをシェアできたら一番いい。もうお金とかじゃなく、貸し借りとか物々交換みたいな感じで農家同士だったらやりやすいしね。そうそう、むかしは結っていうのがあって、ね。
むかしは結っていうのがあって、助け合いの習慣みたいなこと。それぞれで助け合って、道具とかものの貸し借りもそうだけど、例えばある農家で大黒柱がケガしたとする。それだけでその農家はその1年お米作りができなくなっちゃう。だから周りのみんなでその家の田んぼの田植えしに行ったりする。もし何かあったときに自然と助け合える関係性を日ごろから作っておくことが、それが何よりの「持続可能な農業」ってことだと思う。そういう普段の連携が大事やなと思ってる。
月1回の日曜日に開催されるマーケット。もちろん「作る人」と「買う人」が直接、顔を合わせて話をしてお買い物という交流ができる場だ。それだけではなく、ご近所同士の結ではないけれど、よく似た価値観同士の結として、農家さんをはじめとする出店者さんたちの「普段の連携」の場になっていればいいいなと思う。羽間さんの言う、普段は世間話や情報交換をしながら、何か起きたときには助け合える関係。売り買いだけではない、それをこえる場になっていきたい。
あとは、経済のスパイラルに巻き込まれないようにしていきたい。自家採取の種もそうだけど、道具も。エネルギーだってどうなるか分からないから、人力で使える道具も継承していかないと。足踏み脱穀機とか唐箕とか、手回しとか人力で使える道具置いていますよ。いざとなったらそれで秋もちゃんと収穫物はこなせる。みんなでやれば楽しいし。エネルギーに頼りすぎることのない方法も持っておきたい。くわとか鎌も安いやつじゃなくて、ちょっと高くてもメンテナンスしてくれて長く使えるようなものを取り扱っているところから買うとかね。

__ いつもの駅前で唐箕動かしたいな。
お話を聞いたあと、お昼ごはんをいただいた。羽間農園の自然栽培ササニシキと野菜たっぷりのぜいたくカレー。息子くんが、うちのお米なんやから、サイコーですよ!と勧めてくれた。息子くんにとって羽間さんは「おいしいものを作ってくれるヒーロー」なのだそうだ。息子くんの名前には「思」の漢字が使われている。

羽間 田んぼの田に、心って書くでしょ。だからこの字使いたかったんです。

__ なんだか衝撃だった。「思」の漢字をそんな風に見たことなかった!めっちゃ羽間さんの字ですね!と語彙力のない返事をしてしまったが、羽間さんが見ている景色が少し見えた気がした。幼稚園児の頃から都会に住みながら農的なものに楽しみを見出して、ぶれることなく自然農、自然栽培、ご自身のやり方で生活が成り立つようになられた。もはやその農法の名前とかも気にならない「羽間さんが作ったもの」という絶対的信頼の存在だ。

 


後記

近頃マーケットでは、売り場、単なる牌(パイ)として、
他のナチュラル系マーケットと併用されることも多くなりました。
忙しかったり、雨が降ったり、流れが悪くなると途端に
参加者さんからそっぽを向かれることがあります。
そういうものと言えば、そういうものなのですが、
コミュニティって一体なんなんだろう?とマーケット運営に行き詰まりを感じていました。
ただ雨が降っても、流れが悪くても、忙しくてもマーケットに寄り添い続け、
実際の行動から、単なる牌でなく、(熱心に事務局の朝の準備を手助けしてくれたり)
フードシェッドを重要視してくれるのがわかる(長年のカサとして)
羽間さんの今回の話は、その行き詰まりに風穴をあけてくれるような機会でした。

世界は捨てたものじゃないというとちょっと大げさですが、
心ある農家や八百屋が、農業をして食っていけなかったり、
野菜を販売して食っていけないような、
何か別の収入減やカラクリがないとやっていけない厳しい時代でも、

分かろう。分かり合おう。分け合おう。助け合おうとしている人がいる。
数は少ないかもしれませんが、そういう人が目立とうとはしませんが、いてくれます。
その事は、ちゃんと捉えて受け止めないといけませんね。

羽間さんの、自分の農園だけが良ければいい、とわけではない。という考え方を
建前でなく本気で言える生産者は一体どれくらいいるんだろう?
行動も伴ってとなるとかなりハードルが高い気がします。
長く八百屋を続けている僕も、こういうナチュラルなvoiceで
正面からそういう言葉を生産者から聞けることは、
(思い出してみても)意外とはじめてです。

だから、そういう生産者が近くに存在していることが素直に嬉しい。

厳しい苦難や痛みを通過してきたその存在自体が、
個人ビジネスに偏ったり、そちらに向かいがちな新時代の農家と

損得、利便性に引きずらざるを得ない台所が「変わっていける」きっかけだと思います。(榊原)