未来の八百屋の『働き方』~前編2~

「種を蒔くデザイン展」にオンライン上で参加しています。
文章と風景を寄稿してますが、インスタで寄稿はなんか変な感じです。
文章が長くなるので、途中からHPにのせてます。
お店は通常営業です。しばらくお付き合いください。

今小さなお店五ふしでは、2店舗を6人で働いていますが、
奈良店の方で新しい八百屋の働き方を模索しています。
その取り組みについて、「種を蒔くデザイン展」の中の未来の八百屋というカテゴリーで紹介させてもらっています。

たいそうなことはしていませんが、八百屋の働き手の畑勤務を増やしたり、
農家の研修中に八百屋で働きながら勉強できないかなという取り組みです。

自社農園とか囲い込むものではなく、共に生きる仲間の農家と協働したいという気持ちから、数年前から話し合っていました。

畑の肥料まき、腕の筋肉後半震えてしまったっとか、まき過ぎて鼻にいっぱい肥料入ってたっとか、八百屋で働いてみたいと船に乗り込んでくれた女子も畑勤務もそこそこ楽しんでくれています。
(日本は肥料ほとんど輸入、値上がり心配ですね)

もともとは消費者、流通、生産者の壁を取っ払って、それぞれの違い、八百屋と生産者の境界をなくして行けへんやろか?
生産者同士も考え方の違い、農法の違いを超えて、理解しあったり「融合」していかれへんやろか?と考えてたのがきっかけです。
他にも二つの理由で取り組んでいます。

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未来の八百屋の『働き方』~前編2~

////融合について////

五ふしの草の八百屋が、続けて来れた理由は、
ほとんどが「運」や助けてくれた人のおかげです。
それと自然農にどっぷり6年ほど浸かっていて、本質的な農業に触れていたのもあるかもしれません。
十中八九すぐ潰れると「そんな商売続くわけあれへんがな」と奈良の人が思っていた中、
(逆の立場でもそう思うくらい非現実的な理想です。)
本質的な農業にぶつかってみた経験があったのは幸運でした。
その要素は、これまで生き残って、オーガニックのリングの上で戦い続けさせてもらえる理由の一つのように思います。

八百屋をはじめる前に畑を返してから、
開店後も時折援農作業に出かけていました。

だいたい追い詰められたり、店をたたむ直前のどん底の時や、
畑で仲間が追い詰められてたり、やめそうな雰囲気が出てきている時に一緒に働く。
畑で誰かと一緒に働くのは、単純に楽しいし、いい気分転換にもなります。
悩みのちっぽけさを自覚するという意味では、山や海へ出かけるのとも似てます。
働きながら農家と話をする。
「こんな小さな八百屋無くなっても誰もなんも変わらんな。」とか、
「こんな小さな農家やめても誰もなんも変わらん。」とか言い合いながら。

だいたい人生のどん底期に畑に立っていたような気がします。

そういう気分が、重しになって、八百屋は八百屋になるのかもと今は思います。
そういう気持ちでなくても、何か目に見えないものを畑でもらって売り場に立つ。というのは、若い働き手のこれからの 何かしら「力」に変わっていくんじゃないか?というのが、
取り組みの一つ目理由です。

それともう一つ。
有機野菜を売る八百屋さんってええなぁ。
オーガニックの小商い、職人さん、工場長ってええなぁ、と思わしてくれた諸先輩。
例えば、グルッペの稲津さんやGAIAの清水さん、ルヴァンの甲田さん、ゾンネの柿沼さん
蔵肆の鶴久さん、ばんまいの山田たちの働く人、スタッフへの姿勢を意識してきたことです。

皆さんの仕事に触れると、店や畑が通過点で、人生の学校のように思っているように感じていました。
いつか真似していけたらと思っていました。
マーケットや市民活動で大所帯を背負うことがありますが、まだまだ。
小さく奈良でトライしながら良い雇用を作れるように修行したい。

農家志望の若手が八百屋で働くパターンがまだなので、この取り組みで作っていくことが
ひとまずの目標です。

ウクライナで起きていることのように
不条理、不公正な世界で、
身近でこういうサイクルを生み出せたり、
人格あるオーガニックを経由した人が、次の正しい社会を切り拓いていければ、
それは間違いなく幸せなことです。

つづく

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(次は、未来の八百屋の『働き方』~後編1~)

#種を蒔くデザイン展
#五ふしの草

写真: 中部 里保
@b.riho