【 マーケットの向こう側 】vol.3 oyatsu somaya 後編 岡本太材、梨衣

NARAFOODSHEDと五ふしの草の共同制作で特別連載。

 

食べることを深く知り、考え、作り手や届け手、食べ手の思いを聞くことをテーマに、街のファーマーズマーケットやファームスタンドがガイド的に寄稿、連載するルポルタージュ「マーケットの向こう側」。マーケットや、地域の農家さん、関係する八百屋さん、繋がるいろんな作り手、食べ手の方々の裏側というか、奥行きに触れていただけたらと思います。
前回に引き続き、oyatsu somayaさん。後編です。

 

/ 聞き手: 船尾佳代 / 写真:中部里保 /編集: 榊原一憲

 


 

 

優しい想いのバトンを継ないでいきたいなと思っています。

―  太材さんは謙虚に、目の前のことに対してニュートラルに対峙されている。そしてご自身ができることとできないことを見極めている。農業はめぐる季節の中でできることのタイミング、チャンスが重要だ。一度失敗すると一年待たなければならない。情報や経験をお互いに共有できる農家さんコミュニティというのが大切なのだ。一人勝ちしようとする世界に太材さんたちはいない。さらに大切なことについて太材さんは話してくれた。

 

太材 種はやっぱり大事ですね。種は在来種とか固定種を買います。ほかは近所のおっちゃんからもらったり。名前は知らんけどずっと作ってておいしいねんって言って、種をくれました。もう何十年も作ってはる豆です。これは自家採取したスイカ、ルッコラ、オクラ3種類、紫とうがらし、ほおずき、ボリジ。ボリジって青い花が咲くハーブで食べられるんです。ハチとか虫を呼んでくれるんで、受粉を助けてくれる。だから畑の周りに何ヶ所か植えたりしています。かぼちゃとかほぼ人工授粉してないんですよ。勝手にハチがやってくれてます。ところどころに、虫がいてるんで一緒に受粉してもらうような感じ。最初は全部、自家採取しようとしてたんですけど、葉物はあんまり種取ってなくて。種苗会社さんのことを考えたら買わせてもらえるのはちゃんと買わせてもらった方がいいなと思って。固定種や在来種のような種は自家採種出来る。購入者が自家採種したら、もう次の年から種が売れにくくなるかもしれない。だから自家採種の難易度の高い野菜、例えば混ざりやすいものとか形質がどんどん変わってしまうアブラナ科とかは購入させてもらっています。僕らの購入量なんて微々たるものですが、少しでも大切な種苗会社さんを支えられたら良いなと。自家採取もしたいので、混ざりにくくて種が取りやすいトマト、ナス、かぼちゃ、豆とかは自分で採ります。

 

―  ビンや小袋に入ったたくさんの種を見せてくれた。一つの野菜でも何種類も種がある。

 

太材 今は30種類くらいの野菜を作っています。最初は、50近かったんです。めっちゃ面積狭いくせにいろいろ欲張ってやってしまって、どれも中途半端で。肥料なしやから、多分慣行農家の人の下手したら100分の1の収穫量くらいかもしれなくて。ちゃんと収穫量を増やさないとあかんなと思って種類を絞ることにしました。ナスは3種類してたんですけど今年は1種類にして、来年また別の1種類にして種も繋いでいきます。小豆も、ここらへんの在来種の宇陀大納言ってあるんですけど昔からいろいろ探し回って、全然手に入らなくて。宇陀大納言は作ってない、残ってないと言われて。宇陀の小豆農家さんにもコンタクト取ってみたんですけど、農家さん同士、交換していろんな小豆が交配してしまってて、もう多分遺伝子的に変わってるからって言われました。もうあかんのかなと思ってたら、種を大事に採り継いでいらしゃる方が宇陀大納言を持っていらっしゃって。2さやだけちょっと分けてもらえたんです。これ絶対に守らんなあかん、死守せなあかんと思って。鹿に食われましたなんてことになったらあかんし、3メートルの柵を建てたのはこの小豆守るためもあるんです。自分でずっと取ってる小豆もあるんですけど、宇陀大納言をこっちで復活できたらいいなと思って。遺伝子検査もして、ちゃんと正真正銘、宇陀大納言の遺伝子と合致したやつらしいです。絶対に失敗できないですよね。僕もこの種取ってるけど、自分で失敗したらもう途切れてしまうっていう恐怖がいつもあるんですよ。だから若手農家とかじゃなくても、協力してくれるおっちゃんとかいてるんで、みんなでリスク分散しながら育てていけたらな。と思ってます。苗とか種を渡してるんで、もし僕が失敗したらまた分けてくださいって言えるように、広げてやってもらってます。やっぱり獣害がすごい。向こうも生きるために必死やから、容赦なく食べられる。ほんまに綺麗になくなっちゃうんです。岡くん(めぐるふぁーむ)とかともそういう話ししてて、お互いの育ててる固定種とか、在来種を交換とかできたらいいなという話もしてるんで。最近は種の自給率を上げるために種を取る、消えゆく在来種や固定種を守らないといけないとか言われていますよね。もちろんそれもそうなんですが、そんな小難しい事はあまり考えてなくて。種を交換するってめっちゃロマンやと思ってて。実際に今残っている野菜の種達は、調べたり話しを聞いていると、単純に「美味しいから」、「自分の子どもや孫が好きだから」とか、嫁入りのときに種を持たせたとか、そんな人々の優しい想いや気持ちで継ながれ続けてきたものが多いって感じています。種はその土地の文化そのものやと思っています。育てているとき、これはどんな想いで継ながれてきたのかな?と考えるだけで楽しいし、ワクワクしますね。ロマンがあるな〜って。近所のおっちゃんにもらった名前のないあの豆の種も、多分もう何十年もここにしっかり馴染んでるし、そういうのもちゃんと残していけたら最高です。そんな先人達の優しい想いのバトンを継ないでいきたいなと思っています。

 

 

 

 

ー 貴重な種が手に入っても一人で抱きかかえない。貴重だから独り占めして付加価値をつけて…などと俗っぽいことにはならず、貴重だからこそ一人ではなく信頼のおける人たちと育て種を採り継いでいこうとされていた。奈良FOODSHEDファーマーズマーケットでも以前、種の交換会をしていたことをお伝えした。農家さん主体で種の交換会が復活してくれるのではと期待している。ここで梨衣さんにも今に至るお話をお聞きする。

 

 

 

 

梨衣 宮崎について行ったときは、私はお料理の勉強をしようと思っていました。宮崎でレストランとかカフェとかでいろいろ働いて、ホテルのレストランで運よく働けることになって。前菜を作らせてもらっていたんですけど、デザートやりたいって言ってたから、パティシエの方がデザート作るときには見においでって言ってくださったり、やりたいことあったらやってみていいよって言ってくださるところでした。珍しいものも食べさせてくれたり。前の職場では忙しく、時間もなかったので、休憩中は菓子パン等を食べていて、食事に気をつかう余裕も心のゆとりもなかったんです。宮崎に引っ越して、農に触れたり、調理の仕事をすることで、食について考えるきっかけになりました。身体によいものを取り入れたいと思うようになり、添加物なども摂らないように。前は「美味しい」の範囲が広くなってしまってたから、ホテルのレストランでたくさん味見とかさせてもらって、「お金をいただける味」っていうのを自分の舌で知ることができました。そんな下地があって今作っているお菓子は独学で試行錯誤しながら作っています。今は日本の古来からの発酵という技術の良さも取り込めたらと思って、米麹の甘酒を使ったスコーンなどを作っています。私はおやつという響きが好きで。ちょっとほっとするというか。子どもの頃、母親がよくおやつを作ってくれていたんですが、子どもの頃「おやつにしよー」って呼ばれた時、とても嬉しくて、幸せな気持ちになりました。色んな人と一緒に食べることで、コミュニケーションも生まれる。おやつという言葉にはすごく幸せが詰まっているというか、魅力があるなと思いました。だから屋号にもおやつという言葉を入れたかったんです。おこがましいですが、私達の作るおやつも食べてくれた人にとって、ホッとするひとときとか、少しでも笑顔や前向きに何かを考えてもらうきっかけとか、そういった瞬間に私達のおやつがご一緒出来ていたら嬉しいです。ご近所さんも「何かあったらお菓子はここ」みたいに買ってくださったり、手土産に使ってくださったり、ありがたいです。最近では自分の子どもさんが結婚の挨拶に行くときのお菓子に選んでくださったり、そういう大事なときのお菓子に選んでくださったり繋がりがどんどん出てきて嬉しいです。

 

 

 

―「太材さんが農業」で「梨衣さんがお菓子」という分業ではないそうだ。

 

太材 お互い手伝いながらですね。僕はあんまりこねるとか得意じゃないんで、粉を計量したり洗い物したりとか、下準備やってバトンタッチしてっていう感じで一緒にずっとやってきてます。畑も一緒にやってますし、桑の実を収穫するときは僕が妻を担いで肩車で採ったり。

 

―  危ないから脚立を買ってね、とみんなで笑いながら、お二人が今までずっと二人三脚でやってこられたことを想像する。以前からoyatsu somayaさんのお菓子を食べておいしかったよ!と感想を伝えると、梨衣さんより太材さんが先に「よかったー」と言って安堵の表情を浮かべるのが印象的に残っていた。お二人で作ったお野菜入りの、お二人で作ったお菓子たちだったからだと納得できた。そのoyatsu somayaのソマヤとは今お住まいの場所の旧地名が「そまや」ということに由来しているそうだ。「そまや」とは杣人(きこり)が住む場所を意味する。どうして曽爾村に移り住んで来られたのか。

 

太材 もともとおじいさんの代まで暮らしていた場所なんです。父が中学のときに奈良市に引っ越して。だから、最初、「誰々さんのひ孫か?」みたいな感じで近所の方は話しかけてくれました。さかのぼったらこのあたりみんな親戚なんちゃうかな。僕らがやってる畑も、元々この先祖が耕した畑だったんで、そこまた戻ってきて使わしてもらってるっていう感慨深いものがあります。なじみのある縁のある場所ですけど、最初はいろいろ言われました。草生やしてたらみっともないとか、お前のところから虫わいてくるとか、農薬も肥料もなしでできるわけないとか。若い子がやることはわからんわって。わかってもらうためにも絶対こっちから挨拶するようにしました。どれだけ離れてても、こっちから挨拶して、どんどん話しかけて、世間話とかもするようになって。みなさんのやり方とは違いますが、自分で納得するまでやってみたいんですって言って。そうこうしてる間に、やり方を理解してくれて、興味をもってくれるようになって。マメ科の雑草って肥料代わりになるんですけど、それ伝えたら、そしたら抜かんと置いとくわって言ってくれるようになったり、苗とか種をわけてくれって言われたり、今は応援してもらう感じになっています。やっぱり積極的に村の人らと関わっていくことをしないといけないと思います。うわさって良いものでも悪いものでも広まるのは早いんです。あっという間に広がるので、誰とも関わらずやってたらずっと誤解が解けない。そうなったら多分すごい住みづらくなってしまいますね。どんどん関わっていくようにしているから、この畑使わへんか、とか、ここやったら何してても文句言われへんで、とか言ってくれるようになって。ほんまうれしい。ほんと応援してもらっています。そこに住んでいるっていうことだけじゃなくて、早く何をしてるかっていうのを伝えて、安心感を持ってもらえるようにしました。警戒してはるから、ちゃんと応援してもらえるように。村で事業をするなら基盤を作っておかないとあかんなと思って、それは最初気をつけていました。なかなか、こっちから行くのもドキドキするんですよね、出来上がっている人らのコミュニティに入るって結構勇気いるんすけど、1回しっかり入ったら、向こうも心を開いてくれはるから。中途半端じゃなくてしっかり入らないとあかんなと思っています。それと、消防団とか村の一員としての役割を果たすのも大事。僕、今、組頭なんですよ。役員もやってます。妻も保健推進委員やってて。そういうふうに僕らのことを頼ってくれはるようにもなってきてるから、うれしいですね。田舎って人間関係めちゃめちゃ大事です。人は少ないけど密やからやね。

 

僕らがやってるお菓子や農業は目的じゃなくて、奈良や曽爾を盛り上げる手段

 

太材 今はもっとガンガンいってますよ。山菜の旬とか使い方とかわからないとき、近所のおっちゃんおばちゃんちに、ピンポンピンポーンって押して、これわかります?って押しかけます。おっちゃんおばちゃんたち知識量すごいし、調べるより聞いた方がいいでしょ。もっと美味しい食べ方とかどういう下処理するのかとか。めっちゃ教えてくれます。こんなふうに村の人たちにすごい助けられてると思う。本来の農村の生き方のような感じしますけどね。何かあったらみんなで助け合うみたいな。それを経験させてもらっています。
あと、初めて作る野菜は、試しに食べてもらったりしています。けっこう珍しい野菜作ったりもしてるんですけど、近所のおばちゃんたちに配って、それぞれいろんな調理法で料理しはったのを聞いて。1回で、いろんな調理法の情報収集させてもらっています。僕らだけではいろいろ試せないですし。そしたら売るときにこういう使い方できますよってお客様に提案できて助かっています。おばちゃんたちは野菜の味にも正直に感想言ってくれはるし。そういう間柄になってます。
僕はおっちゃんおばちゃんたちと話すのが好きだから、こんな風にできていますけど、みんながみんなそうじゃなくて。地元の人と移住者ってコミュニティが分かれてしまうことが多いんです。お互い仲良くしたいと思っているのにお互い一歩が踏み出せない。だから村の行事に若い移住者を誘ったり、若者のイベントに近所のおっちゃんおばちゃんたちを誘ったりして、仲を取り持つというか、お互いが絡んでいけるようにしています。

 

 

 

― 「わからなかったらピンポン」にはかなり驚いた。お二人はご近所さんたち全員の孫みたいな存在。さらに田舎あるあるのご近所さんとの野菜の交換という習慣をうまく活用していた。師匠のような、料理法の引き出しが豊富な農家さんへの一歩だ。太材さんはあっけらかんと垣根が低い。梨衣さんはいつもニコニコしている。近所の方々に応援してもらっているのが想像できるし、地元の方と移住者を繋ぐ役割も自然とやってのけているのだろう。最後に今後の目標についてお聞きした。

 

太材 人が集まる場所を作りたいです。カフェじゃなくてもいいので、例えば種取りのワークショップちゃんとできるん空間であったり。僕らがもうちょっと求心力を持てたら、曽爾村の人らの野菜を扱いたい。僕らがやってるお菓子や農業は目的じゃなくて、奈良や曽爾を盛り上げる手段なので。せっかくやからこだわって作ってる人たちの野菜や物をちゃんと買って、僕らがPRするっていう方がいいと思って。だから曽爾の特産物で専門の農家さんがいてる、ほうれん草とトマトは自分で作らないことにしました。ほうれん草は種の実の山下さんのを使わせてもらってスコーン作ったりしてるので。こだわって作ってはるほうれん草を紹介したいですし。トマトは畑のあかりの中野くんのものでキッシュとかに使わせてもらいます。お菓子に使ってとか結構量もいるので、それはもうちゃんと買わせてもらう。規格外のものもお菓子に加工するなら問題なく使えるから、そうやってお金の流れも作って、僕らのお菓子の通販を通して全国の人に食べてもらえる。種の実のほうれん草、畑のあかりのトマトを知ってもらえる機会になればいいなと。そういうウィンウィンの関係を広げられたらいいなと思います。

 

―  太材さんは「僕」ではなく「僕ら」とおっしゃることが多かった。一緒に農業とお菓子作りをしている梨衣さんとの二人を指すこともあり、曽爾村の若手農家仲間を指すこともあり、もしかしたら受粉を一緒にしてくれるハチたちも「僕ら」に含まれていたかもしれない。個としての意志や考えは明確で固く、でも同時に個としての存在は重要視していないように思えた。謙虚にみんなで一緒にいい結果を出そうと工夫されている。また、oyatsu somayaさんの屋号からは農家さんということが分からないし、「農家」というアピールがほぼないし、野菜ではなく「オヤツ」だし旧地名の「ソマヤ」だし、私にはいろいろと謎だった。お話を聞いて、二人で作った最終形態のものがおいしいおやつだから「オヤツ」で、個よりもみんな、コミュニティの一員としての意識が高く、ご先祖の場所を大切にしているから「ソマヤ」なのだと。お二人の大切にしていることが込められているのかなと想像する。今回は端境期のタイミング取材にお邪魔させていただいたので、たくさんの野菜が実っている時期にもまた畑を見せていただきたいと思う。たくさんの種類のお野菜たちが草や虫たちとともに育っているのを見られるのが楽しみ。お二人の作った玉ねぎ入りのあまじょっぱいクラッカーがおすすめです。

 

 


 

vol.3 終わり