パタゴニア大阪との共同企画

 

農業の話をしよう  夏 -健全な土壌を育む農業を目指して- トーク&セッションイベント〉

オーガニックや自然栽培など、いろんな農業の話をしませんか。生産者を招き、暮らしの基本「食べること」を通して、地域の風土、生産、流通、消費の問題や課題に対し、どんなアプローチができるかを考え、学ぶ場です。

ゲスト:榊原一憲(奈良市・五ふしの草)@itsufushi
    岡村康平(朝来市・ありがとんぼ農園)@arigatonbo
    大森げん(朝来市・山の葉根)@yamanohane

photo 1枚目 : 岡村さん
photo 2枚目tanami tsukui : 大森さん

■日時:7月29日(土)19:30開場/19:40開始/21:10終了

■参加費:無料(要予約)

■場所:パタゴニア大阪
大阪府大阪市中央区南船場3-4-22東道ビル

■ご予約・お問合せ:
パタゴニア大阪 TEL 06-6258-0366

■定員:30名
*申込先着順で定員になり次第、締め切らせていただきます。

#patagonia
#パタゴニア
#パタゴニア大阪


【 マーケットの向こう側 】vol.2 ならまちパン工房okage  芝村勇哉 吉川もえ

NARAFOODSHEDと五ふしの草の共同制作で特別連載。

 

食べることを深く知り、考え、作り手や届け手、食べ手の思いを聞くことをテーマに、街のファーマーズマーケットやファームスタンドがガイド的に寄稿、連載するルポルタージュ「マーケットの向こう側」。マーケットや、地域の農家さん、関係する八百屋さん、繋がるいろんな作り手、食べ手の方々の裏側というか、奥行きに触れていただけたらと思います。今回はokageさん。ほとんどのパン屋さんが大手流通や直売所、スーパーで食材を仕入れる中で、足しげくファームスタンドに足を運ぶ稀有な職人さんだ。マーケットの設営や撤収にも非常に熱心な事務局オススメの真面目なパン屋さんです。

 

/ 聞き手: 三宅翔子 / 写真・編集: 榊原一憲

 


 

 

より自然に近いものを使うようにしています。

 

毎日食べるものだからこそ、体が喜ぶパンを届けたい。

JR奈良駅からほど近くにある、木のぬくもりが感じられる小さなパン屋さん。

小麦の美味しい香りが漂うなか、カンパーニュ、リュスティック、あんぱん、フォカッチャ…丁寧に作られたパンがきれいに並べられ、ついつい目移りしてしまう。

小さなカウンターからは、職人気質でどっしりとした安心感のある店主の芝村勇哉さん、可愛らしい笑顔が印象的なパートナーの吉川もえさんが出迎えてくれる。

 

 

ー なぜこちらのお店を始めようと思ったんですか?

芝村 色々理由はあるんですけど、単純に僕の体感的に奈良にこういうパン屋さんがなかったからです。

国産小麦を使ったお店はあるんですけど、未だにショートニングやマーガリンを使っているところも多いですし、有機酵母や有機小麦を使ったパン屋ってまだまだ奈良には少ないんですよね。

だから、原材料には特にこだわっていますね。

例えば、僕は子供はいないですけど、もし自分に子供がいたら、これを食べさせてあげられるか?とか。

あとは、自分のお店を始めたのは、僕自身が人と働くのが得意ではなくて、ひとりで黙々と働く方が合っているからというのもありますね。

 

ー 始まりから、芝村さんの内側から湧き出る原材料へのこだわりをひしひしと感じる。根っからの職人気質ぶりに消費者として安心感を覚えた。具体的にどのような原材料を使ってらっしゃいますか?

芝村 高いものというよりは、より自然に近いものを使うようにしています。

例えば、これは北海道産の有機小麦粉の臼夢です。臼で挽かれているので、臼夢って言います。

石臼で丁寧に引いているため、小麦自体の温度が低く保つことができ、酸化せず香りが高い全粒粉となっています。

あとは、ゆめちからだったり…。基本的に小麦粉は北海道産ですね。

同じく北海道産のライ麦粉も使います。ライ麦粉は、その土地の土壌を良くしてくれるそうです。それを使うことで、また良い形で畑に還元できたらなぁと。

北海道産以外にも、奈良県の天理の松本さんが作る特別栽培の全粒粉も使っています。松本さんは野菜はほぼ全部無農薬で育ててらっしゃる方で、小麦もあと2〜3年で有機小麦に変えたいとおっしゃっていて、応援する意味で使っています。やっぱり小麦を有機で作るのは、難しいみたいですしね。

小麦粉以外もこだわっています。例えば、洗双糖は種子島産のもの、小豆は北海道産の特別栽培のものです。

 

 

 

 

ー 先日北海道まで足を運び、畑を見て来られたという芝村さん。原材料一つ一つ、かなりこだわって選ばれている。若かりし頃から、パン職人として歩んでこられた芝村さんが、どのような経験を積んで、今のかたちに近付いていったのかが気になる。

芝村 店を持つまでは、いろいろな店で経験を積んでいました。大体5店舗ぐらいですかね。

桜井のパン屋、神戸のホテルのベーカリー、カフェの立ち上げを手伝ったり、声をかけてもらって、茨城県の道の駅のパン屋で1年ほど店長をしたこともあります。

途中からは、自分の店を持ちたいという目標もできていました。

 

ー 伺った経歴では、今こだわられている自然に近い原材料を使うこととの繋がりをそこまで感じないのですが、原材料へこだわるきっかけになったものは、何かあるのでしょうか?

芝村 ホテルでは、やはり原材料にすごいこだわっていたんですよね。その時には有機小麦でなく、国産小麦を幅広く使っていました。臼夢でお世話になっているアグリシステムさんもその中の1社です。

あとは、茨城県の道の駅で働いていた頃に、仕事の忙しさもあり、コンビニ食ばかりを食べていて、体調を崩してしまったんですよね。食事だけでなく、睡眠とかもあるんでしょうけど。そこで、食事を改善していったら、身体もましになってきたんですよね。その時に、やっぱり身体のためには、ナチュラルな自然に近い食べ物の方が良いと思ったのが大きなきっかけですね。茨城県の道の駅で働いたことは、大きかったですね。

 

ー その下積み時代に、今でも芝村さんが尊敬し、目標としている人物とも出会っている。

芝村 兵庫県のメゾンムラタの村田さんです。前に研修で行かせていただいたことがあって。パンへの熱が誰よりもすごい!いつもパンのことを考えてるんです。そして、パンの話をしている時は、ちょっと目がイッてる。笑

パン職人として、本当に尊敬します。そして、いつも誰のことでも、全部受け入れてから返してくれる、その器の大きさも尊敬しています。

 

ー 村田さんの器の大きさを象徴するようなエピソードがあったそうだ。

芝村 僕が店を出す前、ちょうどカフェの立ち上げの仕事をしていた頃、一度パンを焼いて村田さんに持って行ったことがあるんですよね。

めっちゃショートニングを使ったパンをね。笑

今考えたら有り得ない話ですけど。笑

ショートニングを入れると、歯切れの良いサクサクとしたパンになるので、その頃の僕はそれが良いなと思っていたんです。

その時は、村田さんはいいね〜と言って、食べてくれました。

それから数年後、店をオープンしてからお会いした時に、当時のショートニング入りのパンを覚えていてくださり、あれを食べた時は正直ぶっ飛ばそうかと思ったよ、と当時の気持ちを教えてくれました。笑

変わったね〜と言ってくれたんです。

 

 

 

美味しい、は後からついてくる

 

ー 原材料へのこだわりは、お客さんへの想いからくるものも大きい。

芝村 僕自身、美味しいパンを出してるという感覚は特にないんですよね。美味しい、は後からついてくると思っているので。

それよりも、原材料にこだわり、お客さんの身体にスッと入るものを。継続的に食べてもらえたら嬉しいなと。

その想いの方が、大きいです。

結果的に、お客さんに美味しい!と言ってもらえると、あぁそうなんや!となりますね。笑

 

ー さっきいただいたあんぱん、すごい美味しかったですよ!笑

芝村 ありがとうございます。笑

 

ー そんな芝村さん。お店をオープンした頃から、パートナーでもある吉川さんと二人三脚で歩みを進めている。

芝村 僕たち、14歳差で年が離れているんですよね。なので、仕事をして行く中で感覚が違う。

僕の年齢になると、諦めが出てくるんですよね。この程度で良いかな、みたいな。

でも彼女はまだ若いので、僕にはない発想があったり…単純に僕ができないことをできたりもするし、とにかく得れるものが多いんですよね。

そして、仕事に対する姿勢が似ている。初めて彼女に会った時は、仕事の話で意気投合し、気付いたら2時間ほど経っていました。笑

あとは、彼女の人懐っこさにも助けられています。時々、彼女がお店に立っていない時は、常連さんから今日は彼女はいないの?と、言われたりします。笑

僕じゃだめですか?と言ってみたり。笑

 

ー 吉川さんにも話を聞いてみた。吉川さんは、もともと食文化に興味があり、その後調理師を目指していたそうだ。原材料にこだわりを持ってらっしゃる芝村さんへ何か一言ありますか?

吉川 私は元々多方面のことに興味があるんですけど、彼は一つのことを深く追求していく人で、すごいなと思っています。

私は、広く浅くタイプ。彼は、狭く深くタイプ。

今も原材料へのこだわりはすごいですけど、もっともっと(さらに)食材とか追求していってくれたらいいなと思っています。笑

 

ー 笑顔でそう答えてくれた吉川さん。その力強い言葉に二人の強い信頼関係を感じた。二人の関係性は、普段どんな感じですか?

吉川 店を始める時、すごいわがままな話なんですけど、私自身、サポート役になるのは嫌だったんですよね。笑

年齢的にもまだまだ何をしようかという時に、すぐサポート役をするのに抵抗があって。笑

ただ、彼はそこもわかってくれていて、むしろそういう価値観で入っちゃだめだよ、と言ってくれたんです。

二人しかいないんだから、意見を言ってくれなきゃ困る、と。笑

だから、二人でしっかりと意見を出し合って進んでいます。

 

ー お互い一人のパン職人として、あくまでも同じ目線で対等に意見を交換し合う。時には、喧嘩もするそうだ。お二人が凸と凹で、補い合いながら高めていく。年齢を超えた強い絆を感じた。

日々歩みを進めるなかで、今何か感じていることはあるのでしょうか?

芝村 誰の為に、何の為にやっているのか?と、ふと立ち止まることがあります。

正直パン屋は沢山あるし、世の中にパンは捨てるほどある訳で。

そんな時は、今使っている原材料の生産者さんのこと、これを使うことで生産者へ還元できるなら良いかなと思ったりします。

もちろん来てくださったお客さんへの想いもありますし。

お客さんへも原材料について、話したりします。小麦粉だけじゃなく、例えば使ってる平飼い卵の話なんかもします。

常にフラットでいたいなと

 

ー パン職人は、普通作り手として、裏方のことが多い。しかし、芝村さんのお店はお客さんとの距離がとても近く感じる。芝村さん自身も、それは良いなと感じているそう。

芝村 全然知らない人に売っていたら、きっと何してんねやろ…となるなぁと。

それやったら、会社員で良いかなと思います。笑

 

ー そんなお客さんのお声も、積極的に取り入れてらっしゃるんですか?

芝村 僕はお客さんの声はあんまり聞かないんですよ。笑

よく、こんなパンがあったら嬉しい!というお声もいただくのですが、自分が作りたくないパンは作りません。笑

素材に意味があって作るパンだったら、新しいのを作るのは良いんですけど、意味のないパンは作っても仕方ないと思うので。

 

ー ここでも芝村さんの人間性が溢れ出る!では、お店をしていく中で、葛藤を感じることはありますか?

芝村 今は、やっぱり原材料の価格が高騰してきていて、正直金銭面で悩むことが多いです。

有機のものを使うと、どうしても利益が出ていくので…。

例えばこの有機小麦粉は、一般的な小麦粉の3〜4倍の価格なんですよね。

良い食材を、どうしたら量を減らさずに、そのままお客さんへ提供できるか、お客さんにはなるべく負担なく買いやすい価格で提供したい…その間で葛藤することが多いですね。

あとは、全て手作りで作っているので、自分の中で出来の悪い時のパンをお客さんに出す時はしんどいですね。

どうしても酵母が変な動きをすることがあったり、自分が疲れてる時はちょっとした作業の時間のズレが出てきて、発酵が遅れたり…。

自分の体調は整えておかないといけないなと思います。常にフラットでいたいなと。

 

ー お客さんへ良いものを届けたい。そのために、自分が出来ることを日々追求する。芝村さんのどっしりと安定した言葉からは、お客さんへの熱い想いを感じる。では、今後どのように進んでいきたい、など何かありますか?

芝村 少しずつランクアップしていけたらなと思っています。

まだまだ自分の中で、クオリティが低いと感じる部分もあるので。

あとは、年々サイクルが速くなっているのを実感していて。

どちらかというと、僕より手前の生産者さん。その方たちへ、何ができるのか?を考えつつ、動いていきたいなと思っています。

お客さんの声よりも、もっと生産者の声を拾っていって、生産者へちょっとずつでも還元していける流れを作っていけたらなと思っています。

さっきのライ麦粉の話じゃないですが、使うことで還元していけるならそれが1番良いかなと。

 

 

 

 

生産者があっての、自分たち作り手。その先にお客さんがいるからこそ、生産者の為に何ができるかを考える。その流れをより強く作っていきたい。そんな芝村さんの目標を聞き、マーケットの目指している流れ、生産者と消費者、作り手…その関係性をしっかりと繋ぎ、育てていく大切さを改めて実感させてもらえた。

 

 


 

編集後記)

学生時代に野球をされていたそうで、大柄な体格から、
おそらく頼りになるスラッガーだったんだろうなと会うとよく想像します。
野球でいうと、プロのレギュラーをはれるようになる選手は、
一軍に定着できずにいる選手をあっという間に凌駕しレギュラーを取ってしまう、
とよくいいますが、僕の場合もokageさんにはその例えがしっくりくる。

奈良は観光の街なのもあってか、地域の加工業者、料理人は
そこまでオーガニックに業務を寄せなくて良いというか、
少し取り入れればいいという暗黙の了解事項があるんだなぁとずっと感じてきたし。
そのことよりも、とにかくこの街、この地域では奈良産であるかが重視される。
もしくは自分で栽培したり収穫していることの方がステータス、宣伝効果につながりやすい。

街場で有機野菜を販売してる身としては、
これまでそんな風に感じることの方が率直に多かったです。

特定のお気に入りの農家さんだけを狙って仕事に取り入れるケースも多く、
全体の地域として有機的な文化水準が上がっていくイメージはあまり持てずにいました。

もちろん原価コストやニーズに沿わなければならない、ということが大きく横たわるので、
本音と建前の問題があり、本音で本質的な農業(有機農業や自然栽培)を
地域で高めようとすることは難しいし、そこにアプローチしないのは仕方ない、
というのはよくわかります。

ただレギュラーをはるような人はそんなケチくさいところにはいないみたいです。

まず本音、本気で生産者への責務として、地域や心のつながりのある本質的な農業と付き合うと
最初からすでに「決心している」。いきなりそもそもが違うといいますか。

そしてその(責務の)上、そのライン上に自分の仕事を乗せていき、
そこから(その後に)葛藤を始める。
そもそものボーダーラインといいますか、最低ラインを上げてくる。といいますか。
葛藤の場所が違う。従来と違う職業倫理といいますか(良し悪しではなく)(いろんな立場もあることですし)。

でもそうすると、これは本気の人が出てきたなと、地域の食の水準は上がりはじめるな。と僕の場合は思うんです。
自分の店がどうこうなるとは違うベクトルで、狭い自分の意識の中ではなく、
お互い同士の関係性の中で、スタンダードが動き出す。といいますか。
生産者も、僕のような流通もそういう人が出てきてくれると、とにかくスイッチが入る。
それは多分素晴らしいことなんだろうなと。(感覚的な話ですみません)
今回の話を聞いたり、頻繁に食材を仕入れるために「オーガニックの現場」に立つokageさんを見ていて、
でもやっぱりそう思うのです。

榊原

 

 

 

 


NFファーマーズマーケット

NARA FOODSHED FARMERS MARKET
5月の風景。
自己革新前のマーケット風景です。

自己革新というほど大げさなことはしませんが、
折々に自らを省みていくことは良いことですし。
頑張ります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


大阪本

大阪本。
「やっぱりおいしい大阪」
掲載していただきました。
(レンバイが)
しっかり取材していただきました。

京阪神エルマガジン社さま、
いつもいつもいつも本当有り難うございます。

すごいいい感じに
仕上げていただいて、
わかりやすく
まとめて下さってます。
好きなことばかりお話ししてますが、
結構いい事が言えてます。
(厚かましいですが、)
(すぐ抜け気味の配置転換のくせにすいません)

発売してすぐで、
開催場所の所有者、ホストが、
五ふし→オーケストラさんになりますが、
一応スタイルが変更することがある旨、
記載しておりますので、
ご了承いただきたい。

北極星のオムライス
懐かしいなぁ。
ハイセンスな方向ばかりでなく、
シックにも
ディープにも
コミカルにも
スッキリ新たな今の大阪が見れる。
良いムックだと思います。
尊敬する編集者さん。
@mdrngs79
不思議に力感のない捉える力、
情熱、
すごみのあるバランス感覚、
センス、品の良さが出てますね。
見応えがあります。

#オーガニック連売所
#レンバイ大阪
#レンバイ阿倍野
#やっぱりおいしい大阪
#大阪本


大切なお知らせ2

遠回しな予言みたいに
2段階告知で
申し訳ありません。

ちょっとややこしい
奇妙な移行ですが、
あべの店。
5月27日に閉じて
6月からレンバイ仲間の
フード・オーケストラさん
@foodorchestra_
に譲渡します。
(五ふしは出入り業者へ)
でも5月30日は、
いつも通りレンバイ
@o_renbai
はあります。

6月は移行期間で
通常の営業などはなく、
ご迷惑おかけします。
ですがいつも通り
レンバイはあります。
五ふしもだいたい
毎週参加します。

7月初旬からは
新たにグローサリーストアーとして
フード・オーケストラが
スタートします。

7月以降も通常レンバイあり、
五ふしもたまに参加します。

しばらく、
オーガニックストアーの実店舗、
オーケストラさんも初めてなので
サポートさせて頂きます。

一番嬉しいのは、
レンバイで集まる仲間の野菜が、
レンバイ終わりで今までは
全部引き上げられていましたが、

これからはレンバイ時間以外も、
いくつかは
販売されることになる点です。

これでまたひとつ
目標としている公共的で
共同、協働がしやすい方へ
近づきます。

お客さんにとっても
奈良方面だけではなくなり
北や南のものも
手に取れるようになります。

バトンを受け、渡した
オーガニックの場所は、
今後自発的なスタイルで
産まれた喜びを
活用する時期へ移ろいます。
初動の悪戦苦闘。
発芽~定植、活着に
持ってる力フルでしたが、
いい思い出が
またひとつ増えましたし、
どうつながっていくか
楽しみです。

出発点は
運よくなんとかできましたが、
全体的な大阪のプロジェクトは、
まだ始まったところ。
総合的な骨格は、
これからが本番です。

成立の過程に関して
説明を加えておいた方が良いなと、
いくつか事実をHPで報告的に
記させていただこうと思いましたが、
余計なことにもなりそうなので、
何年か先にします。
ご了承いただきたい。

それにしても
力不足ながら、
店は根も張って、
愛着もあるので
結構もったいなかったのですが、
俯瞰して
どうしてもここは譲渡だな、
となりました。

つかむ。所有するより、
はなす。分け合う方向で。
吉と出るといいですが、
次の時代に最善を渡すことが、
一番大切なことですよね。

道程では、
友達だと思っていた人が、
そうでもなかったり、
切ないこともありましたが、
傷みや危うさを含まない調和はない。
と言いますか、
ぜんぶ必要なことで、
解体はして再構築しようと
思います。

あまり親しくないのに
助けてくれる方。
ほんとに多かったです。
ひとまずの区切り。
みなさんに感謝します。


【 マーケットの向こう側 】vol.1 羽間農園 羽間一登(後編)

 

奈良フードシェッドと五ふしの草の共同編集で特別連載。

 

「なりわいを聴く」「作り手の暮らしを観る」ことをテーマに、街のファーマーズマーケットやファームスタンドがガイド的に寄稿するインタビュー記事です。マーケットや、地域の農家さん、関係する八百屋さんや繋がるいろんな作り手、食べ手の方々の裏側というか、奥行きに触れていただけたらと思います。1回目は羽間農園。企画のスタートアップで気合が入り、長くなったので前編後編に分けています。今回は後編です。

 

/ 聞き手: 船尾佳代/ 写真: 中部里保/ 編集: 榊原一憲

 


 

「木の寿命があって菌の寿命もあるし、」

 

__ 羽間農園の茶畑へ

羽間 ここは全部ぼーぼーだった草とか取り除いて再生した茶畑です。始めたときは機械とかなかったから手でチョキチョキして手で収穫してたけどもなかなか量が作れなかった。新茶になるまでの間に草とか、いろんなものを取り除いて、1回全部散髪して古い葉っぱをちょっと刈り揃えて、新芽が揃うように綺麗にします。冬の間、ちょっと雪とか積もって、しもやけみたいになってるのはあんまりいいお茶になりにくいから一旦ざーって落として、その先っぽから新芽がもうすぐしたら出てくる。一般的には八十八夜って5月2日ぐらいやけど、この辺は寒いから半月ぐらいあとの5月の中旬ぐらいに新茶が取れます。秋に白い花が咲いて、それが種になって。昔は茶の実油とか作ってたみたいで、まだうちそこまでやれてなくて。集めるのになかなか大変だから。

__ 落ちている茶の実を見せてくれた。
「それは違う、鹿のフンやわ」と息子くんに言ってる羽間さんの声が聞こえた。

 

 

茶の実はこんな見た目です。

 

(羽間農園のしいたけへ)

__ たまにマーケットには羽間さんのしいたけが並ぶ。肉厚の原木しいたけ。羽間さんが住んでらっしゃる集落は山あいなので茶畑や田んぼのすぐそばに山、森が迫っている。少しひんやりと薄暗く、ところどころに太陽の光が差し込むしっとりとした山。冬に少し山奥からくぬぎの木を切ってきて、切り分け、菌打ちをする。2年でしいたけが出始めるそうだ。「しいたけの菌も自家採取できるんですよ。」と驚くことをおっしゃる羽間さん。しいたけの菌の自家採取なんて聞いたことがない。

羽間 しいたけの自家採取ってすごい危険な方法でね。しいたけって雷が落ちた瞬間にバフって菌が出るらしくて。だから雷が鳴り出したら、しいたけのところに走って行って、しいたけの下に何か広げて待つ。ボカーンて雷落ちたら、菌がバフーって出るからそれを集める。そんな危険な自家採種はもう命がけ。無理やね。しょうがないから菌は種苗会社から培養したやつを買ってる。

__ なんだかそれもやってみたいって思ってるんじゃないかな、いつかやるのでは、と、こちらが思ってしまうくらい羽間さんは何でも自分でできることはしようとする。

羽間 単純に自分たちの生活でも、あったらいいなって思うはなるべく作るようにしてて、しいたけあったらいいなで作ってたら、めちゃくちゃいっぱい取れるから、干しいたけにするし、タイミングよくマーケットがあれば売ったりもしている。

しいたけって菌打ってから2年目に出始めて、それが3年か4年ぐらい出て、だんだん木が自体がめっちゃ柔らかくなっていって崩れていって土に戻る。一応その終わりがあるんです。寿命があって。木の寿命があって菌の寿命もあるし、だから大体4、5年も経ったら土に還っていく感じ。16年、そのサイクルでやり続けてる。うえのほう見てみて。あれはずいぶん前に終わった木。

__ 奥に見える原木はもう朽ちていて木なのか土なのか分からないくらいだった。その場で足踏みしてみると驚くほど土がふわふわしている。

木をきりだして、菌を打ち、余すところなく栄養をいただき、朽ちた木は土に還り次の木の養分になる。まだ切ったばかりの硬い木、2、3年目の木、朽ちた木。原木のサイクルが一度に見渡せるその光景を見て、私は「次の代が農業をしやすいように手渡すことを考えている」と羽間さんがおっしゃっていたことを思い出した。羽間農園さんのお茶には「自然発酵紅茶」という紅茶がある。何気なしに「自然発酵」と読んでいたけれど、この「自然」というのはガチだった。羽間さんは細い山道の入口に連れていってくれた。その道は羽間さんの集落の方々が田植え前と稲刈り後にお米の収穫を祈願しに参拝される社へと続く道だ。

 

 

羽間 ずっと上までこの道が続くんです。ここの葉っぱとかをまず取り除いてきれいにしてここに収穫してきた茶の新芽を3日間広げるんですよ。普通は緑茶とか発酵させないけど紅茶は発酵させるんで。ここで、森の空気と湿度と風で3日間かけて茶葉の酵素を巡らせる。紅茶にするための発酵をここでやります。夜もずっとこのまま広げといて、朝昼晩の攪拌を3日間。普通は発酵機でやるんですけど、うちは保管設備がないんで。道でやります。

__ 「発酵を道でやります。」その相容れない言葉の組み合わせに驚く。昔からのこの辺りの製法なんですか?

羽間 いやいや、なんかここええんちゃうかなって思って。湿度とか気温とか。

__ 「なんかええんちゃうかな」に、また驚く。羽間さんは紅茶の発酵ができそうな場所を肌感覚で見つけてしまったのだ。あの美味しい紅茶は本当の自然の力で発酵したものだったんだなと。その場所を羽間さんは自然と見つけた。発酵できる道を眺めながら「自然」ということばの意味を考え直す。

 

(ワイルド茶畑へ)

 

羽間 ここが全然開墾してない元々の茶畑で。ここの茶畑はイベントでみなさんに茶摘みを体験してもらうところ。木と木の間に通路を作って歩けるように準備して、イベントではこの先から出る新芽をみんなで収穫します。茶の木の迷路みたいになってる。開墾する前の茶畑ってみんなこの状態だったんです。すごいワイルドでしょ。

__ 手入れされた茶畑とは違って、背丈以上の茶の木が広がる。茶畑と言えば、こんもりとかまぼこ状に整列したあの景色を思い浮かべるが、ここは違う。茶は「木」なのだとはっきり分かるところだ。

 

“ 茶畑を休ませる ”

 

羽間 ここの茶はちょっと弱ってて、今は収穫はしてなくて管理だけしてます。もうちょっと復活してきたら収穫するつもり。うちの農産物は全部無肥料で作ってるから、やっぱり収穫ばっかりすると弱るから休ませるときも必要で。ちょっと今お休み中の茶畑です。ここは元々めっちゃできてた全盛期のときもあったけど、今は結構枯れてる枝が多くて、いったん若い枝を育てないと無理やなと思って。今5年休ませてるかな。ようやくここまでになってきた。下手したら枯れてしまってたかな。収穫ばっかりしてたら。茶畑は何ヶ所かあるから、ローテーションで。お茶は一回植えてあったらもうずっといけるから。寿命は静岡で400歳の木もあるって言われてるから、多分僕が生きてる間になかなか全部枯れることはない。お茶はすごい強い木だね。でも、減ってきたり弱ってきたら休ませないと。採り続けてたら枯れる。

__ 採りきってしまわずに、ご自身の寿命を超えても茶の木を生き続けさせる。耕作放棄された茶の木を受け取り、整えて、多くは採らずに、そして次の代に良い状態の茶の木を渡す。サイクル。ローテーション。受け取って、手渡す。大きな流れ、サイクルの一部に羽間さんがいる。

__ 羽間さんが作れるもの作れないもの

羽間さんは、なんでも自分で作れないかなと立ち止まる。お米、茶、野菜、しいたけ。そして味噌、酒、みりん、梅干しなどなど日々の食べ物は自給されているものが多い。

羽間 あとは塩かな。塩くらい作れるやろと思って塩も作ってます。海水汲んできて薪で煮詰めて、塩とにがりの結晶できて。以上。かんたん。味噌とか梅干し作るのに塩は絶対いるから。

__ なんと塩も自給。ご家族で旅行されるときに海に行き、タンクに海水を汲んでくる。とてもきれいな海があるそうだ。薪でご飯を炊くかたわらで、海水が煮詰められていた。

羽間 こうすると無駄がないでしょ。

 

 

__ 羽間さん、逆になにが作れないんですか?

羽間 卵は前にマーケットに出てたふじたに農園さん。砂糖は宮古島、油は鹿児島のものかな。オーガニックのもの。砂糖と油も自分たちで作りたいんだけど、難しくて。100%自給して自己完結するのもいいけど、世の中には同じような思いで作られている方もいるから、そういうつながりから買うのもいいなと思って使わせてもらっています。顔の見える人から買いたいから、作っている現場を見に行かせてもらったりして。商品に使う材料と普段の食事の材料も同じですよ。自分たちが食べるものと分けてない。正直高いけど、それができるくらいには成り立ってきた。最近はすべての材料を奈良で地産地消もできたらいいなと思ってる。マーケットの中でも、出店者さんの材料を使って何か作ったり、お互いの作ってるものでさらに何か作ったりして、行き交って活発になったらいいなというのは一番思ってて。うちの米粉使ってくれている出店者さんもいてくれるし、うちもはちまつ養蜂農場さんのはちみつ使ってるし。どんどん活発になったらいいね。

__ それ、私もめっちゃ思ってるんです!マーケットスタッフとして今後の展開に夢が膨らむ。。

 

 

「もうそんな狭い世界の中で争ってもしょうがない。」

 

__ これからの農家へ

羽間 農家同士も特に種の問題はあって、うちは自家採種して、持続可能な形ででやろうとしてる。この隣の桜井市の山奥でやってる僕の昔からの友人の野菜農家がいてて。種がネズミに食べられたらしくて。だから今日うちの余分にとってある種を渡してきところ。野菜ってだいたい1年に1回しか作れないから、種がネズミに食べられたりするってことは今年野菜が作れないってことやから。そらホームセンターとか行ったら売ってるけど、安心な種ってもう入手できにくいから。自分たちもちょっと多めに取っといたらこんなときに分けられるし、自分だって予備としてもあった方がいい。そういう種の連携とか、種以外にも、道具とか特に農業機械は買うと高いし、1年に1回しか田植えも稲刈りもしないから、そういうのを貸したりとか、お互いそうやって連携していくのが大事やなと思う。

五ふしの草さんとか大阪で八百屋さん同士集まって「連売」っていうのを週に1回してるでしょう。これからはそういうのが大事になってくると思う。同業種って昔やったらライバルだからみんな、うちはうち!みたいな感じでやってたけど、もうそういう時代じゃないもんな。農家同士も八百屋同士も助け合って共存していかないと。もう農家ってどんどん減る一方だから、年寄りがどんどん亡くなっていって継ぐ人もいない。もうそんな狭い世界の中で争ってもしょうがない。何とかもうこれ以上農家が潰れように、普通の一般の人も含めて食料を日本の中でちゃんと自給できるようにしていかないと。連携して、お互いあるものをシェアできたら一番いい。もうお金とかじゃなく、貸し借りとか物々交換みたいな感じで農家同士だったらやりやすいしね。そうそう、むかしは結っていうのがあって、ね。
むかしは結っていうのがあって、助け合いの習慣みたいなこと。それぞれで助け合って、道具とかものの貸し借りもそうだけど、例えばある農家で大黒柱がケガしたとする。それだけでその農家はその1年お米作りができなくなっちゃう。だから周りのみんなでその家の田んぼの田植えしに行ったりする。もし何かあったときに自然と助け合える関係性を日ごろから作っておくことが、それが何よりの「持続可能な農業」ってことだと思う。そういう普段の連携が大事やなと思ってる。
月1回の日曜日に開催されるマーケット。もちろん「作る人」と「買う人」が直接、顔を合わせて話をしてお買い物という交流ができる場だ。それだけではなく、ご近所同士の結ではないけれど、よく似た価値観同士の結として、農家さんをはじめとする出店者さんたちの「普段の連携」の場になっていればいいいなと思う。羽間さんの言う、普段は世間話や情報交換をしながら、何か起きたときには助け合える関係。売り買いだけではない、それをこえる場になっていきたい。
あとは、経済のスパイラルに巻き込まれないようにしていきたい。自家採取の種もそうだけど、道具も。エネルギーだってどうなるか分からないから、人力で使える道具も継承していかないと。足踏み脱穀機とか唐箕とか、手回しとか人力で使える道具置いていますよ。いざとなったらそれで秋もちゃんと収穫物はこなせる。みんなでやれば楽しいし。エネルギーに頼りすぎることのない方法も持っておきたい。くわとか鎌も安いやつじゃなくて、ちょっと高くてもメンテナンスしてくれて長く使えるようなものを取り扱っているところから買うとかね。

__ いつもの駅前で唐箕動かしたいな。
お話を聞いたあと、お昼ごはんをいただいた。羽間農園の自然栽培ササニシキと野菜たっぷりのぜいたくカレー。息子くんが、うちのお米なんやから、サイコーですよ!と勧めてくれた。息子くんにとって羽間さんは「おいしいものを作ってくれるヒーロー」なのだそうだ。息子くんの名前には「思」の漢字が使われている。

羽間 田んぼの田に、心って書くでしょ。だからこの字使いたかったんです。

__ なんだか衝撃だった。「思」の漢字をそんな風に見たことなかった!めっちゃ羽間さんの字ですね!と語彙力のない返事をしてしまったが、羽間さんが見ている景色が少し見えた気がした。幼稚園児の頃から都会に住みながら農的なものに楽しみを見出して、ぶれることなく自然農、自然栽培、ご自身のやり方で生活が成り立つようになられた。もはやその農法の名前とかも気にならない「羽間さんが作ったもの」という絶対的信頼の存在だ。

 


後記

近頃マーケットでは、売り場、単なる牌(パイ)として、
他のナチュラル系マーケットと併用されることも多くなりました。
忙しかったり、雨が降ったり、流れが悪くなると途端に
参加者さんからそっぽを向かれることがあります。
そういうものと言えば、そういうものなのですが、
コミュニティって一体なんなんだろう?とマーケット運営に行き詰まりを感じていました。
ただ雨が降っても、流れが悪くても、忙しくてもマーケットに寄り添い続け、
実際の行動から、単なる牌でなく、(熱心に事務局の朝の準備を手助けしてくれたり)
フードシェッドを重要視してくれるのがわかる(長年のカサとして)
羽間さんの今回の話は、その行き詰まりに風穴をあけてくれるような機会でした。

世界は捨てたものじゃないというとちょっと大げさですが、
心ある農家や八百屋が、農業をして食っていけなかったり、
野菜を販売して食っていけないような、
何か別の収入減やカラクリがないとやっていけない厳しい時代でも、

分かろう。分かり合おう。分け合おう。助け合おうとしている人がいる。
数は少ないかもしれませんが、そういう人が目立とうとはしませんが、いてくれます。
その事は、ちゃんと捉えて受け止めないといけませんね。

羽間さんの、自分の農園だけが良ければいい、とわけではない。という考え方を
建前でなく本気で言える生産者は一体どれくらいいるんだろう?
行動も伴ってとなるとかなりハードルが高い気がします。
長く八百屋を続けている僕も、こういうナチュラルなvoiceで
正面からそういう言葉を生産者から聞けることは、
(思い出してみても)意外とはじめてです。

だから、そういう生産者が近くに存在していることが素直に嬉しい。

厳しい苦難や痛みを通過してきたその存在自体が、
個人ビジネスに偏ったり、そちらに向かいがちな新時代の農家と

損得、利便性に引きずらざるを得ない台所が「変わっていける」きっかけだと思います。(榊原)

 


【 マーケットの向こう側 】vol.1 羽間農園 羽間一登(前編)

 

奈良フードシェッドと五ふしの草の共同編集で特別連載。

 

「なりわいを聴く」「作り手の暮らしを観る」ことをテーマに、街のファーマーズマーケットやファームスタンドがガイド的に寄稿するインタビュー記事です。マーケットや、地域の農家さん、関係する八百屋さん、繋がるいろんな作り手、食べ手の方々の裏側というか、奥行きに触れていただけたらと思います。ということは、1回目はぜったい羽間さんですよね。奈良のオーガニック界のレジェンド。百姓オブ百姓。旧都祁村で主にお米とお茶を作ってらっしゃるマーケットを代表する農家さんです。

 

/ 聞き手: 船尾佳代/ 写真: 中部里保/ 編集: 榊原一憲

 


 

 

「地域の人たちのやってることも理解して仲良くする」

 

__ 羽間さん、最近どんな感じですか?

羽間 働き方革命って感じですかね。働く時間、減らしてます。結婚してからは本当にそういう、暮らし優先、食事とかの時間を優先するようになって。なるべく子供できてから特にこどもと過ごす時間とかを作るために、休みを設けたりするようになりました。多少売り上げが落ちても、時間を家族のために使いたいなと。既に最初から農業ってそんなにガツガツ儲かる仕事でもないから食べていけたらいいかなっていう程度で、羽間農園16年やってきて、おかげさんで結構田畑が10年ぐらい前から増えてきて、お客さんもついてくださって、取引先も増えて。だからそういう意味ですごくありがたくて、やりくりできるようになってきたから、家族とゆっくりできる、そういう時間も作れるようになりましたよ。

__ 意外な返事がかえってきた。羽間さんといえば、一日中、田んぼや茶畑で作業している農家さんだったからだ。

羽間 最初1人でやってるときは、めっちゃ頑張って働いて野菜とか作っても、年間の売り上げが30万ぐらい。利益じゃなくて売り上げね。野菜って安いやん?うち自然でやってたからちっちゃい野菜とかばっかりで、めっちゃ働いて30万売り上げ。月2万何千円かやね。だから草刈りのバイトとかもうバンバン引き受けてそれで大体日当1万円とかを設定して、70万ぐらい稼いでやっと年間100万ぐらい。それが最初の三、四年ぐらい続いたかな。耕作放棄の田畑を借りたらまず再生するのに時間がかかって、同時進行で野菜も作ったり、ちょこちょこ取れるようになってきたお茶を手摘みとかでやって、茶工場もないし資本金5万円でスタートして、何も借金もせずに行こうと思って。くわとスコップと草刈り機だけでずっとやっていた。夜は9時くらいまで、真っ暗のなか作業してたし。でももう40歳も超えて無理もきかなくなってきたしね。

__ 笑って話す羽間さん。大変な時期を経ていいペースをつかんで、この調子でこれからがんばっていかれるのかなと思ったこちらの予想に反し、羽間さんはこう続けた。

羽間 でも、あと2割か3割くらいは減ってもいいと思ってる。やっぱり羽間農園だけがずっとうまくいっててもダメだから。僕もそうだったけど、すごい条件の悪いところからスタートって、プロでも大変なのに、新規で農業したいという人にはさらにハードル高い。そんな人には、ある程度、整備できたところを手渡したり、農業しやすい環境を整えて迎えたい。地域の中でも、もしかしたら息子さんとかが帰ってきて自分の家の持ち物である田畑をやりたいってなったときに、苦労せず引き継げるようにした方がいい。だから今の2、3割くらいは減ってもいいから、そういうことのために時間を使いたいと思ってる。

 

 

 

 

__ ご自身の農園だけがうまくいくことより、自分が学んだことや経験を、新規就農の方、若い人たちに伝えたい、次に手渡したいという思いが強くなってきたそうだ。実際、新規就農をしたい方が羽間農園に学びに来られている。

羽間 羽間農園の今のやり方は自然栽培っていう形。最初は田んぼとか不耕起でやってたけど今は耕してて、トラクターも使うし、うちのあくまでも参考程度に学んでもらって、最終自分でやるやり方っていうのは、いいとこ取りしてもらってあとは自分でオリジナルでやってもらえたら一番いいかなって思ってる。個性豊かな農家が増えたら面白いじゃないかって思ってて。慣行農法でも農薬を減らしていったりとか、微生物を入れることで化学肥料とか少なく抑えられたりとか、いろいろな発想のやり方で、とにもかくにも環境に負荷をかけない、地球を汚さないさない、もう一つは人間の体弱らせないような農法であればいいかなって。

 

 

__ そんな無農薬で新規就農したい方に何かアドバイスはありますか?

羽間 僕も昔は慣行農法とかってもう公害みたいに思ってたけども、何でも対立すると、やっぱりよくないし、対立して苦労している人たちをいっぱいみてきたから、とにかくはそれぞれの考え方はある程度許容して、それぞれの地域で嫌われないように。どうしても新規というのはよそものなんで、うちもそうやったけどやっぱ無農薬でやるっていうのは大体周りの人たちはみんないい気がしない。まず、虫がわくとか飛んでくるとか思われてる。それが事実かは置いておいて、そういうことはもう十分に配慮した上で、なるべく嫌われないように、地域の人たちのやってることも理解して仲良くするってのがポイントだと思う。農地が隣接してる人たちが困らないようにするにはどうしたらいいかなと思ったら、やっぱり草刈りを早めに早め早めにすることで、その人は草刈りをしなくて済むし、除草剤やらなくて済むし、周りの人にとってメリットが発生することがまず大事。そうすると、あいつ草はやさへんしええやつやなっていうぐらいになる。あとはあいさつするのはもちろんで、昔話を聞くとか、交流するのが大事。

今めっちゃ化学肥料とか農薬使ってるおじいさんでも昔は農薬とか化学肥料なかったから、自然のやり方のことバンバン教えてくれたりする。その土手の草を積んで堆肥にしたんやーとか。昔話聞きたいから座って聞くと、こっちのことすごい理解してくれて、なんか逆に応援してくれたりとか、昔使ってた米を干す木とか、唐箕とか、足ふみ脱穀機とかいろんなものにいただけたりした。今やってる農法は違っても、その人のいろんな話を聞くっていうのはすごい面白い。なるべく交流するのを大事に。村の行事も参加したりとか、面白い部分で繋がれたら結構、楽しいな。最初はがむしゃらに開墾だけで、なかなかゆとりがなかったけど、途中からそういう感じで地域の人との交流を楽しめるようになってきた。

 

 

「だけどやっぱりどうしても自然なことをやりたいって思って、」

 

__ 羽間さんはいつ農家になろうと思ったんですか?

羽間 大阪の街で生まれ育ったんですけど、そもそもは自然が憧れっていうのもあって、小さいとき将来の夢がもう農家になりたいって決まってたんです。もう幼稚園のときにお百姓さんになりたいって。なんでか知らんけど食べるものを作る仕事、その育てるところからやりたいって小さいときから言ってて、小学校のときも、学校帰ってから1坪ぐらいの小さい庭で野菜作ったりしてそれが趣味でした。おばあちゃんからおこづかいの500円札をもらったらそれを持って園芸店に行って種とか苗買って。500円あったら半年ぐらい楽しめるから。花咲くし、実は食べられるし。500円札もらったらもう十分楽しめるもん。学校では栽培委員会に入って、中学校は部活で園芸部に入って。学校の花壇の花を育てることがメインだったけども、裏側に畑もあってそこで野菜作ったりしてて。何か食べられるのを作ったら持って帰れるし。小さいときから、そんな農的な趣味があって、学校の部活もそんなんで。そして家から一番近い高校が農業高校最高で、そこ速攻受けて。別にすべりどめも受けるつもりもなく。そして農業高校出たらすぐ農業できるって思ってんねんけど、なかなか農業しようと思ったら畑とかはないといけないし、しかも経営的な能力とか、やっぱり高卒ではなかなかやっぱり難しいなってことが途中でわかってきて、卒業後、岐阜の農業大学校2年間の短大にいくことにして、そこである程度ちょっと経営的なこととかを勉強して。これで農業できるだろうとか思って、でも結局やっぱり農地とかどこにするとか、何を作るのとか、なかなかやっぱり見えてこなくて。北海道の富良野の農協が夏の農作業アルバイト募集してたから、卒業後、とりあえず富良野で仕事をしようと思って結局5年間住みました。このまま北海道で農業できるんちゃうかって思ってたけど、やっぱり冬の問題がどうも解決できんくて。もうとにかく豪雪地帯で3メーターぐらい積もるから冬は農業ができない。半年雪に閉ざされるから、大体農業ができるのが4月から9月。10月初めにも初雪降るかな。ということは半年で1年分稼がなくてはいけない。お世話になっていたところ15町歩(約15万平方キロメートル。東京ドーム3個分くらい)とかそれぐらいの面積を、一家族でこなしてて、それは、ほとんど大型機械の力ですごいでかい1000万ぐらいするトラクターとか植え付けする機械と収穫する機械とか、、、とにかく機械代にも何千万もかけてるから、これやっぱりちょっと現実的じゃないなっていう感じで。しかも農薬や化学肥料をバンバン使うし、やっぱり自分でやるには、自分の体のことも考えたら北海道はちがうなと。やっぱり大規模にやるならやるなりの、機械の力が結構あって、これはちょっと自分にはあんまり目指す方向じゃないな。と思っていました。

 

 

その頃、オーガニックを目指してて赤目自然農塾に行ったりとか、20歳のときに福岡正信さんとこ行ったりとか。ある程度自然な人たちのことは知ってて、でもやっぱりそれで生計立てるには難しいなって思ってて。自然農とかではなかなか量が取れへんから、売れるほどのものはできへんっていう。でもすごい生き生きとしたとしては野菜すごい美味しいし、エネルギーに満ちあふれてるからこういうものを作りたいなと思ってた。でもなかなかやっぱり経済と兼ね合いで、一旦はそうやって農協で働いて、そしたら毎月給料入るし、企業的にやるところである程度経済を回すしかないのかなって思ったときもあった。だけどやっぱりどうしても自然なことをやりたいって思って、北海道から帰ってきたときに、もう一回、赤目自然農塾行って、そこで伊川健一くんと出会った。帰ってきても仕事っていうか収入がないと困るから、親父が榛原の有機野菜作ってる会社に話をつけてくれてて、そこで2年間仕事しながら休みの日に健一くんのところに通うみたいな感じで。伊川くんのところでいろいろ教わりながら自然なやり方を模索して。有機野菜作ってる会社も、やっぱり何だかんだ言って一般の農法とほとんど考え方は変わらずハウスの中で、季節感もあまりなく、肥料が化学肥料じゃなくて有機肥料であったり、虫を殺すも農薬じゃなくて忌避剤と自然由来の散布資材をまいて。でもやっぱり本当に自然に近いのをしたいって思ったから、もう一回、赤目に行ってまた伊川くんのところに行った。彼は自然農を主軸にして、当時野菜とお茶をやってたので、何とかそれで自然農で食っていけないかなと思って、考えたところでお茶っていうのは結構いけるなっていうのがわかって。やっぱり収入を得る手段の部分はやっぱりある程度、日持ちのするもので、長く販売できる方がいいなということで。米と野菜は絶対生活の毎日の必須で、絶対外したくないから、お茶をある程度、経済作物的に育てておいて、まずは自給分をしっかり自分で作れるようになることが大事やなと。ちょうど2年ぐらい伊川くんと古民家で一緒に暮らしてて、その頃、都祁村の耕作放棄の田んぼとか、茶畑の情報を得ることができて、2007年羽間農園スタートって感じ。2007年30歳。ちょっと遅いスタートだったけど、ちょうどよかったかな。それぐらいの期間がなかったら、やっぱり自分でそういう自然なやり方でっていうのはやっぱりなかなか技術がなかったし。ちょうど耕作放棄になった茶畑があってそこを廃業者がゴミを捨てる場所としてなんか考えた場所みたいで。話聞き見に行ったらめっちゃいい場所で、そういうことを阻止したいなってちょっと正義感が。独立するタイミングとしてもちょうど今かなっていう感じもあって勢いで借りた。そこを整備しながら、2007年はもう本当に整備ばっかり。田んぼも荒れたところだったから、でっかい井草の株とかを抜いたりとか、猪にいっぱい掘り起こされてたから平らに直したりとか、そんな感じでやりながら草刈りのバイト引き受けて、そういう整備が終わったところから野菜を作り始めて。初年度からかなとかそんな感じの流れです。

 

 

 


 

(後編へつづく)

 


大切なお知らせ1

【大切なお知らせ1】

店頭に苗が並んでいる五ふしより業務連絡です。

突然のことですみませんが、あべの店。
5月27日をラストに閉じて、譲渡することに致しました。
もっと関わる人が使い易くなるよう今のタイミングにします。

急展開で変化させることに決めたので、お知らせ遅くなり申し訳ありません。

詳細後日になりますが、これからもオーガニックな場
レンバイの方も、ホストやハンドリング
オーガナイズ、装いなど変わりますが、
(移行期間もあると思いますが、)
流れは止めないつもりですのでご安心ください。


運営実体が力不足系「個人商店」から
もっとしっかりしたかたちに移ろう予定です。
どんどん共同作業的なかたちに、今後なっていくのではと思います。

赤目自然農塾時代の先逝の友人が大切にしていた場所だったので、
何かあるんだろうというのがはじまりでした。
ちょうど奈良でこのままスポイルされていては
いけないという時でもありました。
コメディさん、みのり市の拠点だった場所。
思い切ってバトンを受け取り、やっぱり鉱脈はあったと今思います。

儲けるためではなく、何か大切なことが都市で
(里から都市はつながっているので)
クリエイトされていく、これからの一助にというのもあり。
(まだまだ今からですが)

はじめてみて、これは、みんなで循環してかないと
やってけないなと思いましたし、色々ありましたが、
うまく仲間に恵まれレンバイも始まり、
根をはってきたところなので少し勿体無いのですが
次の段階、公共心を信じて、
五ふしは(関わりつつお任せして)違うルートにむかいます。

あべの店。
来ていただいたお客さんご近所さんからは、
奈良では味わったことのない、大切にして下さってる感じや
温かみをいただきました。おかげさまです。改めまして感謝です。
(引き続き出入り業者としてウロウロする予定ですが。)

人のために動く。働く。
ハタをラクににさせるために動く。働く。
その難しさも再発見、勉強させてもらいました。
もっと骨惜しみせずにこれからの役割、動けたらぁと思います。


「未来の八百屋市」風景

種を蒔くデザイン展の連動企画、

「未来の八百屋市」“連なる種と土の群れ”

無事終了しました!

ご参加いただき足を運んでいただいた皆様どうも有難うございました。

代休で、21日のレンバイはお休みいただきました。

出店参加者、みんなの場作りのために準備頑張りましたし、
トークもいい時間にしようと燃えて段取りもしましたので、
祝日ですし、家族や自分の暮らしを整えるためレンバイメンバー小休止でした。
次からまた通常通り続けていければと思います。

しかしよく続いています、レンバイ。
一体いつまで続いてくれるんでしょうね。
最初は3ヶ月くらいポシャルんじゃないかと思っていましたが、
人生先のことなんて本当にわかんないですね。

さて19日の特別企画。たくさんの方に来ていただきました。
ゆっくり野菜を見たかった方には、会場狭くて買い物しにくかったかもしれません。
申し訳ありませんでした。

トークの方も、
改めて、街で「食べること」について、じっくりと
本当の話ができたような気が思います。
温かい雰囲気をみんなで作れたのが良かったです。
この経験が後々役に立てば良いですね。

トーク会場の阿倍王子神社さん、天王寺蕪の石碑もありますし、
宮司さんも、種について、コミュニティ新聞に寄稿されるほどですし。
何かやはり特別な場所で、今回機会をいただけて幸運で、光栄でした。

こういう心の距離優先でお互いの領域を超えて、あたらいい経験を積む。
それは未来の八百屋市の入り口だと思いますし、
今後のいいきっかけになっていけばいいですよね。

さいごはGg's角谷さんのすぐきとお茶で打ち上げでした。
心にしみる味でした。


「未来の八百屋市」大阪


タネを蒔くデザイン展内の特別企画。
「未来の八百屋市」大阪
“ 連なる種と土の群れ ”

19日に、雲仙、横浜、大阪と連動して同日開催です。
それぞれの地域の色の違いも、web上で感じていただけると思います。
音楽でいうと、
雲仙は、ロック、ラップなんかの大きなうねりグルーブで、音楽を浴びるような。
横浜は、クラブミュージックみたいなハイクオリティな音楽に深く浸るような。
大阪は、ガレージバンドからジャムセッションに移行している過程で、音楽を味わうような。
勝手にそんなような機会になるのではと思っています。
よくわからない例えですいません。

トーク企画の内容は、後日、インスタにて発信します。
ぜひ申し込んでくださいね。
311から12年。いろんな共有ができればいいですね。