農業の話をしよう 冬編

初動シリーズも折り返せて三回目に。

「農業の話しをしよう」
「土を感じるミニマーケット」

秋に続いて、繋げて "冬編"の告知です!
どんどん助走が加速して楽しませて頂いてます。

改めてSNSにて発信してきますがひとまずクロストーク、対話の方、告知させて頂きます!

お申し込みは、
パタゴニア大阪ストア @patagonia_osakaまで。
ぜひ参加してみてください。

___

<農業の話をしよう 冬 -健全な土壌を育む農業を目指して- トーク&セッションイベント>

オーガニックや自然栽培など、いろんな農業の話をしませんか。生産者を招き、暮らしの基本「食べること」を通して、地域の風土、生産、流通、消費の問題や課題に対し、どんなアプローチができるかを考え、学ぶ場です。

ゲスト:

佐伯遼平(南丹市・SLOW FARM)@slow_farm

岩橋勇歩・菜奈子(南丹市・実生)@m_i_s_h_o___

聞き手:

榊原一憲(奈良市・五ふしの草) @itsufushi

■日時: 2024年1月21日(日)

19:30開場/19:40開始/21:10終了

■参加費:無料(要予約)

■場所:パタゴニア大阪

大阪府大阪市中央区南船場3-4-22東道ビル

■ご予約・お問合せ:

パタゴニア大阪 TEL 06-6258-0366

■定員:35名

*申込先着順で定員になり次第、締め切らせていただきます

#patagonia
#パタゴニア
#パタゴニア大阪


和田山編の様子

少し前になりましたが、

畑の勉強会、

和田山編の様子です。
……………………………………………

1回目の
「農業の話をしよう」(クロストーク)
のゲストの2人の元へ伺いました。

和やかな田の人がいる、山漢の回でした。
山のような人というのは、
農家としての二人の器や、
関西においての宝のような存在を表すのに
しっくりきます。
技術と経験はもとより、
農の道の奥行きをなかなか普通では
追いつけないところまで広げ深めている。

今回は若い農家さんの参加も多く、
本当嬉しかったです。いちばんの対象者でしたし。
多分、皆さんどうすれば上手く土と向き合えるか
よりクリアになったのではないでしょうか。

中堅の農家の定義はいろいろありますが、
その懐の大きさがまずあるのかもです。
いろんな人が集まっても納得の哲学と景色を
渡すことができる。
現代の農の家のかっこよさも。
本物の暮らしを体感できますし
デザインされたものを超えて素晴らしかったです。
 
久しぶりのガイド業も楽しかったです。

午前は、 @arigatonbo
下ネタからセルフビルド。鶏舎。
菌のことから農の道の楽しみ方の極意、
水についての哲学まで、
ユンボやフォーク、コンバインなど
おもちゃのように転がってる中
学ばせてもらいました。
現在自分で建てた家を麹部屋や加工場に変換中。

美味しいお味噌汁と玄米餅、
どうも有難うございました。

午後は、 @yamanohane
田畑の前に、座学というか物語の交換。
育児や農、人生と幅広く。
伐り旬や田畑での動物との向き合い方、
作物を育てる。森と生きる哲学最高でした。
適期適作。木の種類や部位での生活への持ち込み方。
生き物のタイミングや感謝の意味など
土づくりの極意も素晴らしかった。

田畑では、細やかな質問タイム。
経験を包み隠さずなんでも語ってくれました。

美味しいお茶と、柿もどうも有難うございました。

二人にはまだまだ後進のために
山、里から街に出て来てもらえたらと。
そういう機会をまた練りたいものです。

また繋がれば場面を作りたいと思いますので、
機会があれば「畑の勉強会」チェックしてください。

畑の勉強会

畑の勉強会 -和田山編-

 

種や土、植生、虫や鳥に心を寄せる

自然農や有機農業の農家さんの圃場へ行き、

見学、研修、作業する勉強会です。

日常の限定された暮らしから一歩出て、

「農」を感じたり、

自然に活かし生かされていることを理解する。

食べることの尊さに触れたり、

生業として土と共に生きる

農家さんの哲学、知恵、知識を共有する機会です。

___

*12月3日(日)

◯午前の部 ありがとんぼ農園

9時、現地集合(JR和田山駅)〜

9時半、加工場セルフビルド見学〜

10時、農園圃場見学〜

10時半、作業〜

12時(昼休)〜 移動。

 

◯午後の部 山の葉根舎

13時半、加工場セルフビルド見学〜

14時、農園圃場見学〜

14時半、作業〜

16時〜 移動

16時半ごろ現地解散予定。

___

◯持ち物

作業しやすい服装。長靴。軍手。雨具。飲み物。タオル。お弁当。

◯参加費

大人1500円。子供学生無料。

◯申し込み、問い合わせ

五ふしの草までメールかDMにて@itsufushi


秋編風景

「土を感じるミニマーケット」
「農業の話をしよう」
@soil.market

お陰様で、トラブルなく無事開催できました。
ご参加、ご協力誠に有難うございました!
場づくりに尽力して下さった、
パタゴニア大阪 @patagonia_osaka
パタゴニアサーフ大阪 @patagonia.surfosaka
のスタッフみなさんも、
中之島バンクスさんも、
遠いところからの出店も
どうも有難うございました!
また繋がればやりますので、宜しくお願いします。

___

午後の部、夜の部ともに本当に関わる方々が、
素直に喜んでくれているのがわかって、
本当に素晴らしい日となりました。

ちゃんとした場面設定の中、
繋げる、描く、伝える。
そういう役割に流通も変わってきているので、
しっかりと無事実現できて有難かったです。

新たに、
関西でのイートローカルを意識したミニマーケット。
大御所ではなく、
これからを担う農家さんにフォーカスした対話。
可能性、凄みも実感いたしました。


“エネルギーが環ってた”

「土を感じるミニマーケット」は、
たくさんの方々に来て頂きました。
野菜、農作物、気持ちがたくさんの人に届く。
出店者、裏方、来場者同士が
リスペクトし合う。信頼し合えるって
なかなか意外とできませんが、
事の始まりのブリキマーケット @buriki_market
蒔かれたタネが良かったり、
パタゴニアさんの社風が温かだったりしたせいか、
終始和やか。
違和感、矛盾なく それがある 空間となりました。
好天だったからか、、偶然なのかもしれません。

種蒔き、種採り、土染めのワークの
お陰様もあって、
(準備から有難うございます!)
ちゃんと関わる人同士の循環。
自然にできていたんじゃないかと思います。

マーケットから対話への流れも良く、
そこから、そのあとの各自の日常、
買い物、仕事へと無数につながって。
そういう声も多く聞かせてもらい嬉しい限りです。
いいことの積み重ね、本当に心地よかったです。


“農業から得たもの”

「農業の話をしよう」も
優しくしなやかな話でした。
農業人生に関わる人、みんなへの愛の話でした。
テーマが若い生産者の感性でしたが、
冒頭から、新感覚もりもり。
新しい農業の時代、段階。
始まってるなぁ思いました。

前回の兵庫の中堅農家さんの
農業の真髄、おおらかな話から一転し、
みずみずしい若手農家二人の物語は、
親密な時間、空間を生み出していました。

畑のあかり @hatakenoakari
中野くんは、金融から 土と緑を見つめる世界 への
心の移ろいを丁寧に語ってくれ、
かけがえのない出会いと繋がりを
農業から得られたという話しをしてくれたり。
めぐるふぁーむ @meguru.farm
岡くんの、料理人だったにもかかわらず、
食材、農業について
本当の意味で何も知らなかった。
そこから農業人生が始まったという物語。
余白、隙間、悠久という意味で、
本来のスローを農業から得られたという話も。
すごい良かったです。
謙虚で誠実。
柔らかな感性にしびれました!大感謝です。

お二人の
土や世界、人と戦わない姿勢、態度は、
これからの農業に欠かせないのかもしれませんね。
夏編、秋編ともに、同じクダリの話があり
不思議な気が致しました。

悲惨な戦争がまた一つ始まってしまい
どんどん悲惨になってきてしまい辛い時ですが、
人と人との心がさらに深く結びつくような風景。
また作りたいですね。
みなさん本当にお疲れ様でした!

………………………………………

写真 : 山中美有紀
@me_you_yama

#土を感じるミニマーケット
#農業の話しをしよう
#秋編
#パタゴニア大阪
#パタゴニアサーフ大阪
#中之島バンクス
#めぐるふぁーむ
#畑のあかり


【 マーケットの向こう側 】vol.5 ハト畑 後編 坂内謙太郎 里恵

NARAFOODSHEDと五ふしの草の共同制作で連載。

 

食べることを深く知り、考え、作り手や届け手、食べ手の思いを聞く。
街のファーマーズマーケットの出店者さんやファームスタンドの出荷農家を
“水を運ぶ者(裏方スタッフ・シェルパ)”がガイド的に寄稿、連載するルポルタージュ「マーケットの向こう側」。
小さな農を土台とした地域循環の中、
マーケットや、地域の農家さん、関係する八百屋さん、繋がるいろんな作り手、食べ手の方々の裏側というか、
奥行きに触れていただけたらと思います。

南山城村ハト畑の最終回で後編です。

 

/ 聞き手: 三宅翔子 / 写真:中部里保 /編集: 榊原一憲

 


 

 

 

ここの自分の畑をもっと美しくしたいな


謙太郎 
その頃は、農業と家庭菜園が別物って分かってなかったけどね。
トマトを選んだのは、ここが昔から高原トマトってトマト栽培の盛んな地域だったから。
近くに教えても良いよって言ってくれる人もいたんで。
今はもう三件ぐらいしか残ってないんだけどね。

ー 畑をしていく中で、特にこだわっている部分はどんなところですか?


謙太郎 
やっぱり堆肥はこだわってますね、自分で作ったりして。
僕がやってるのは有機栽培なんで、化学肥料は使わない。
有機栽培では、有機肥料とかぼかし肥料とか、堆肥を使ったり…あとは全く肥料を使わないっていうやり方もあるんですけど。
有機肥料っていうのは、鶏糞とか米糠とか、微生物分解が全くされてない生のもの。
それをバーッと畑に撒いて使う。
ぼかし肥料は、半生っていうか、微生物分解が一ヶ月ぐらいされたもの。
堆肥は、微生物分解がしっかりされたもの。僕は昔、有機肥料でやってたんですよ。

ただ、そうするとね、雨が降ったりすると、肥料が結構腐ってきて…害虫とかアブラムシがワーッと湧いて、ひどくて。
トマトの葉っぱにもいっぱい付いて…。
それで、これはどうしようもないなと思って、堆肥の勉強を始めたんだよね。
有機栽培でも、未熟な肥料を使うと腐敗してしまって、その腐敗したものが地下水に流れて、河川を汚染するなんてことも、無いことは無かったり。
あんまり過剰な鶏糞とかを入れたりとか、畑自体がすごい臭いをしてるとか。
たまにあるんですよ、おじいちゃんがやってる畑とか、畑自体が臭いなぁ…って時が。
僕がやってるのは、完熟堆肥なんで、分解されるべき有機物を全部微生物分解させたもので。
半年ぐらい熟成させたものを使ってます。
それを撒くと、全然虫が湧かなくて臭いも無くて、初めはびっくりした!笑

 

ー 有機肥料でそんなに虫が湧くなんて、知らなかった。肥料によって、違いがそこまで顕著に現れるとは、とても興味深い。
やっぱり学生時代に学ばれた地質学も活かされてるんですか?

 

謙太郎 いや、それは全然活かされてないですね。
忘れちゃってるから。笑
今、一から勉強中です。

 

ー その完熟堆肥は、初めは何をきっかけに知ったんですか?

謙太郎 和束のセミナーかな。
無料セミナーがあってね、そこで教えてくれる人に出会って。
そこから、ちゃんと教えてくださいって言って、色々やり始めたね。
今はその堆肥について、色々な人たちに伝えていってて。

 

ー 謙太郎さんは、ご自身の畑以外にも、京都の和束町で完熟堆肥、和束コンポスト学校の講師も務められている。

 

謙太郎 今年で二回目かな。
大体半年ぐらいかけてやっていくんだけど、学校みたいに何人か集まってもらって、僕が教える。
来てくれて有難いね。僕自身もやってて面白いし。

 

ー 学校について話されている時の謙太郎さんからは、畑の話をされている時とはまた違った、力強さを感じた。謙太郎さんが、ふと、そう言えば…と口を開く。

 

謙太郎 この前のさ、パタゴニアのあれ(五ふしの草とパタゴニアの共同企画「農業の話をしよう」のクロストーク)、僕にとったら一つの回答だったんだけどさ。

すごい良かったよね。あれはすごかったと思う!もうなんかね、自分のやってることの方向は正しいなって。
目標にすべきところだなと思った。人の成熟というのも、わかった気がするし。

山の話もね…この辺は冬は雪が降るから、僕は農業諦めて山仕事してるんですけど。

“伐り旬”っていう言葉も初めて聞いたけど、ちょっともう何それ〜と思って、ドキドキしましたね!笑
普段から余程ちゃんと木のことを見てないとわからないだろうし、僕はチェーンソー持ってバンバン切っちゃうから。笑
今まで自然農ってよくわからなかったんだけど、なんか初めてわかった気がするよ。
自然農の良いところって、本当に汚染する物が何も無いってことだよね。本当に行って良かった!

 

ー 何度も何度も、すごかった!と仰っていた謙太郎さん。私自身もあの日あの場所であの話を聞いていたが、確かにとても濃い時間だった。

謙太郎さん自身は、今後やっていきたいことはありますか?

 

謙太郎 今後は、ここの自分の畑をもっと美しくしたいなと思ってますね。

まぁ、それは結果であって…自分が成長したい。人として熟成…もうちょっと大人にならないといけないなって。笑

 

いつも一緒にいるから、そういうところは計り知れないんやと思うし。

 

ー 畑の傍には、謙太郎さんが倉庫として使っている立派な建物があった。昔、茶工場として使われていた場所だそうだ。今はそこで、堆肥も作っているとのことで、見せていただいた。中には、毛布のような大きな布を被せられた、山のようなものがいくつかあった。


謙太郎 
最近様子を見てないから、どうなってるかな。
これは、鶏糞とか米糠とかを混ぜていて、まだ成分が馴染んでないから、ここからまだまだ発酵させないといけないんだけれども、とりあえず一旦これでおしまい。
発酵してるから、熱くなるんだけど、最初は60℃ぐらいが続いてました。
あとは、何回か繰り返して、自分で混ぜないといけないですね。
もう完全に冷えきっちゃったんで、また発酵させないといけない。
来年ぐらいに使えたら良いかなって。
ちなみに完成したら、こんな感じになるんですよね。

 

ー もう何が何だかわからない、ほぼ土!

 

謙太郎 こっちは、鶏のエサにしてるやつで、色んなものを放り込んでます。
多分捲ると虫がワーッと出てくると思うので、捲らないけど。笑

 

 

ー ふかふかしていて、とても気持ち良さそうな堆肥だった。これが完熟堆肥!傍には鶏のエサも作られていた。
ハト畑として、家族として、パートナーとして…謙太郎さんと里恵さんそれぞれに、お互いのことについても話を聞いてみた。

 

謙太郎 妻は、よく僕に付き合ってくれてるなって思う。
金銭感覚もないし、計画性もないし…無茶苦茶なのに。笑
あとは、子供の面倒をよく見てくれて、嬉しいです。
真ん中の子が野球をやってて、こんなくそ暑いのにそれについて行ったりね。
それから、料理も美味しい!仕事の面では、結構大変ですよ。笑

今は加工はもう全部任せてるんだけど、忘れ物や探し物が多くて…それが結構大変かな。笑
最近は自分で取りに来るようになったけど。笑

 

ー 里恵さんはどうですか?

 

里恵 私も、謙ちゃんはよく我慢してくれてるなと思います。笑
私は、本当によく忘れ物や探し物をするんですけどね。笑
今朝も電話鳴らして!って言ってたんです。笑
子供は高1、小6、小2って三人いるんですけど、子供からしたら良いお父さんやと思いますね。
やっぱりこういう仕事やから、いつも一緒にいるから、そういうところは計り知れないんなと思うし。
何か頼んだらやってくれるし、そういう柔らかさはあるかなぁ。
なんやかんや、地域の人たちからも信頼されてるから、ちょこちょこした作業を頼まれたりしてて。
やっぱり頼みやすいって重要じゃないですか。

あとは、まだ農家ちゃうんちゃうかなぁって思います。笑

でも、トマトの味はピカイチやと思ってますね!

ー 味は本当に!ピカイチです!

大学時代から長年連れ添ったお二人。謙太郎さんも里恵さんも、少し照れ臭そうに、でも嘘のないありのままの言葉で答えてくれた。謙ちゃんの作るトマトはピカイチ!と仰っていた里恵さんの言葉が、とても輝いていて素敵だった。周囲を山に囲まれた自然溢れる童仙房。
そこで一歩一歩一途に農的暮らしをされている謙太郎さん一家。
指揮者的な役割をすることが多いけれど、本当はプレイヤーになりたい!と話されていた謙太郎さんの言葉が印象に残っている。
2012年からハト畑を始められ、変わらず日々を歩み進められて、もう10年以上。謙太郎さんが指揮者でもあり、プレイヤーでもあるからこそ、ここまでのハト畑の物語があるのではないかと思った。そして、これからもハト畑の物語は続いていく。

ちょうど村の分かれ道、謙太郎さんとも別れ、帰路につく。
走り出して間もなく、激しい通り雨にあった。この夏久しぶりの雨だった。
「謙太郎さん喜んでるやろなぁ。」と、運転手の榊原さんがぽつりと呟く。東の空、ちょうど童仙房の方面に、大きな虹が出ていた。

 

 


(ハト畑編おわり)


【 マーケットの向こう側 】vol.5 ハト畑 中編 坂内謙太郎 里恵

NARAFOODSHEDと五ふしの草の共同制作で連載。

 

食べることを深く知り、考え、作り手や届け手、食べ手の思いを聞く。
街のファーマーズマーケットの出店者さんやファームスタンドの出荷農家を
“水を運ぶ者(裏方スタッフ・シェルパ)”がガイド的に寄稿、連載するルポルタージュ「マーケットの向こう側」。
小さな農を土台とした地域循環の中、
マーケットや、地域の農家さん、関係する八百屋さん、繋がるいろんな作り手、食べ手の方々の裏側というか、
奥行きに触れていただけたらと思います。

前回に引き続き、南山城村ハト畑。中編です。

 

/ 聞き手: 三宅翔子 / 写真:中部里保 /編集: 榊原一憲

 


 

 

ー 加工場をあとにして、いよいよ童仙房に入る。まずは謙太郎さん一家のご自宅に案内してもらった。隣に茶畑の広がる絵本に出てきそうな素敵な場所。立派な一軒家の周りには、ヤギの家や鶏小屋、遠くに犬小屋まである!全て自分たちで建てられたと伺い、驚いた。動物関係のお世話は謙太郎さんの担当だそう。ヤギと謙太郎さんはとても仲良しで微笑ましくなった。笑

 

謙太郎 いつも餌あげてるからね。笑
その辺の草をあげたり、トマトをあげたり。

 

ー さっき里恵さんが、トマスコのトマトの皮もあげるって仰ってましたね!

 

謙太郎 そう、それもあげるね。

 

ー ヤギの隣には鶏が沢山いた。鶏の天敵の野生の獣も近くにきっといるけれど、ヤギがいて怖いからか、意外と狙われないそうだ。鶏が産んだ卵は、謙太郎さん一家の食卓に並ぶ。

 

 

 

謙太郎 鶏の餌には家から出る生ゴミとか。コメヌカや野菜残渣を発酵させたものも使ってるね。

 

ー 犬小屋からは、元気な鳴き声が。名前はモモちゃんというらしい。猟師さんのところで生まれたモモちゃん。

 

謙太郎 全然太んなくてね、胴まわりがすごい細いでしょ。
普段はドッグフードだけど、時々猟師さんが解体した鹿のアラをあげてる。

 

ー 近くにはモモちゃんが食べた後の、鹿の骨が転がっていた。都会では絶対見ることのない、とてもワイルドな光景だった。笑

 

畑から出た廃棄するものを、餌としてあげる。ヤギがいることで、鶏が守られる。鶏の産んでくれた卵をいただく。その鶏の糞は堆肥を作る時に使う。…全ては循環していた。ご自宅をあとにして、続いて畑に案内していただく。畑は、謙太郎さんの担当。どんどん山深くなる道を車で走り、別世界のような静かな場所に着いた。ここがハト畑さんの原点、トマト畑のある場所だ!

 

 

 

謙太郎 この柵はね、かずくん(五ふしの草の榊原さん)とやったんだよね。
この奥は、実はまだじゃがいもが埋まってるんですよ。笑
どうしよう、草だらけになっちゃった。笑
最近妻はここには来てないんだけど、これ見たらひっくり返ると思うわ。笑

 

ー トマト畑に入るまでに、うっそうとした場所があったが、どうやらそこも謙太郎さんの畑だそう。

 

謙太郎 その隣には、こんにゃく芋が植わってる。笑
ズッキーニ、牛蒡、里芋。
あとは、ピーマン、茄子がもう埋もれてわかんなくなっちゃった。笑

 

ー ビニールハウスに到着し、いよいよトマト畑を見せていただくことに。ビニールハウスは二棟。片方は大玉トマトで、もう片方はミニトマトが栽培されている。入口には、獣よけの柵があった。

 

 

謙太郎 なんか知らんけど、小動物がねぇ…すごくて。ミニトマトがすごかったわ…。
柵もしてるけど、小動物なら頭さえ入ったら、中に入れちゃうから。
昨日もここにテント張って泊まったけどね、何も来なかった…残念。
犬も連れてきてたから、犬に噛み千切られて粉々になって欲しかったんだけどね。笑
やっぱり僕たちが居てるから来なかったんだろうね。

 

ー 傍には鳥よけもある。カラスもよく来るそうだ。ビニールハウスに一歩足を踏み入れると、外気よりもグンと室温の高い暑さの中、キラリと輝くトマトが沢山実っていた!

 

 

謙太郎 蜘蛛の巣に気を付けて!
蜘蛛がすごい沢山いるから。

 

ー 謙太郎さんの声とともに、本当に巣の多さに驚いた。

 

まぁ、こんな現場です。笑

 

謙太郎 無農薬だから、虫が多いからね。
やっぱり蜘蛛もその虫を狙ってるんだと思う。

 

謙太郎 どこまでもずらりと並ぶトマトたち。この猛暑の中、たくましく育った勇者に見えた。
トマトは、人が触れると匂いが出てくるんで、結構触れたところに匂いとか色が付いちゃうんですよね、黄色っぽく。

 

ー ハウスの中を歩くと、そこらじゅうから夏らしいトマトの青々しい香りが漂ってくる。個人的には、とても癒やされる夏の香りだった。雨量の少ないこの夏。水不足も深刻だそう。ところどころには、見ていてしんどそうなトマトの枝もある。

 

謙太郎 もう水がないんで、今はカラカラで。
本当はそこにタンクがあって、そこから水を汲み上げてやるんですけど、今はポンプが壊れていてあげられなくて。
ここは大玉トマトを植えたんだけど、なんか中玉っぽいんですよね。

 

ー 畑を案内してもらいながら、謙太郎さんがトマトをもぎ取って食べさせてくれた。ギュッと甘味と旨味の詰まった採れたてのトマト。ハウスの中のサウナのような暑さを忘れるほど、身体の奥深くまで染み渡る美味しさだった。トマトの周りには、トマスコにも使われているバジルなど、ハーブも植えられていた。

 

謙太郎 結構日光浴びて熱くなってるんだけど、美味しそうなの採って食べてください。
今年のトマトの出来は、こっちはあんまり良くなくて、枯れちゃってちょっと悔しい…。
でも向こうは良い気がしますね。
こんなにカンカン照りなのに、ちゃんと枯れずにいるので。
まぁ、こんな現場です。笑

 

ー 周囲には人の気配も一切ない、本当に静かな自然に溢れた場所。里恵さんもほとんど畑には来られないそう。この場所で、謙太郎さんは日々黙々とただ一人で畑と向き合っているのだ。

 

謙太郎 次はもう冬のことだよね、気持ちは。
…って言っても、あんまりやることはないんだけどね。笑
うさぎがひどくて…昨年はもう冬物は何もやらなかった。今年はやりたいんだけど。
本当にひどかったわ…植えた瞬間に無くなった。笑
もううさぎはどうやっていいのかわかんなくて…足跡はあるんだけど…。
近所のおっちゃん達には、そんなん罠で簡単やん!って言われたね。

 

ー 季節の流れとともに、その季節ならではの問題があるそうだ。
今はこの童仙房という自然に溢れた土地で、日々自然と寄り添いながら暮らしている謙太郎さん。元々は全く違う暮らしをされていたそう。

 

謙太郎 出身は東京で、大学は北海道の札幌にある北海道大学に通って…都会暮らしだったね。
大学では、地質学を学んで。卒業して、大阪でサラリーマンとして働いて。

 

ー 全国転々と移り住んできた謙太郎さんが、この南山城村の童仙房に移住してきたきっかけも、また興味深かった。

 

謙太郎 昔、この地域の廃校を会場にして、「山の上マーケット」というイベントがあって。
もう今は終わっちゃったんだけども。
そこにお客さんとして遊びに来たのがきっかけで…1回で決めたね。

 

ー 1回で決められたんですか!?

 

謙太郎 うん。笑
僕はあんまり思わなかったんだけど、彼女がね。笑
当時僕は、サラリーマン9年目ぐらいだったかな。
彼女は岩手出身だから、その頃岩手のほうに行こうかなと思ってたんだけど、その頃地震があって、それどころじゃないなって思って。
それでどうしようかと思っていたら、たまたまこの地に出会った。
僕はもうちょっと、加茂あたりが良いかな?と思ったんだけど…平地で。

 

ー 当時、イベントに里恵さんと一緒に遊びに来られ、この場所を気に入り、家族で移住して来られたそうだ。里恵さんの決断力にも脱帽した。

畑に興味を持たれたきっかけは何かあるんですか?

 

謙太郎 大阪で勤めていた会社が、結構大きな敷地のある会社で、畑班っていうのがあったんですよ。
そこに入って。そこから興味を持っていました。
あとは、“ほぼ日”の特集で家庭菜園の特集をしてて。
何とか農法とかいう…それは普通に化学肥料使うやつだったけど。
それで、あぁ!自分でも出来そうだなぁ!と思って。

 

 


(後編へとつづく)

 


【 マーケットの向こう側 】vol.5 ハト畑 前編 坂内謙太郎 里恵

 

NARAFOODSHEDと五ふしの草の共同制作で連載。

 

食べることを深く知り、考え、作り手や届け手、食べ手の思いを聞く。
街のファーマーズマーケットの出店者さんやファームスタンドの出荷農家を
“水を運ぶ者(裏方スタッフ・シェルパ)”がガイド的に寄稿、連載するルポルタージュ「マーケットの向こう側」。
小さな農を土台とした地域循環の中、
マーケットや、地域の農家さん、関係する八百屋さん、繋がるいろんな作り手、食べ手の方々の裏側というか、
奥行きに触れていただけたらと思います。

 

/ 聞き手: 三宅翔子 / 写真:中部里保 /編集: 榊原一憲

 


 

 

 

自然の恵みそのものの、おいしい野菜づくり。
効率よりも、目の前の野菜に全力を尽くす。

自然豊かな高原、京都の南山城村・童仙房という山の上で「ハト畑」さん一家は、小さな農を営んでいる。
奈良市内から木津川を眺めながら山道を抜け、南山城村に入りました。

童仙房に入る前、近くでちょうどトマスコの加工作業をされているということで、まずは加工場を訪ねることに。
皆さんご存知、毎年夏になると登場するあの人気商品、ハト畑の「青トマスコ」!
加工場に到着すると、代表の坂内謙太郎さんと、奥様の坂内里恵さんが笑顔で出迎えてくれた。
青トマスコの加工は、里恵さんの担当。
朝採れの大量の青トマト、青唐辛子、ハーブたちが鮮やかに集められて、今から美味しいトマスコになるのを楽しみに待っているように見えた。

 

ツヤツヤで美しい青トマト。

 

里恵さんが一つ一つ手作業で皮を剥き、カットしていく。

 

やっぱりこの食材の元気さを届けたい!

 

ー このトマトは、青い段階で収穫しているんですか?

 

里恵 そうです。
元々トマスコ用に、メキシコのトマティーヨっていうホオズキの仲間のものを栽培していた時期もあったんですけど。
サルサソースとかに使われるもので。でも、今はこれで十分かなって思って。熟す前に採ってます。

ー 皮も剥くんですね!

 

里恵 そうなんです。
剥かんでも良いんちゃう?って言われるんですけど、一応剥いてます。
自分でもどうかなぁと考えたこともあるんですけど、やっぱり食感というか、皮が浮いてしまう感じにはしたくなくて。

ただ、剥くのは結構時間がかかるんです…笑
ちなみに、この剥いた皮は、ヤギの餌になります。
結構好きなんですよ。笑

ー そう仰いながらも、慣れた手つきで作業を進められる里恵さん。簡単そうに手際良く作業されているが、とても手間暇をかけて作られていることに頭が下がる。
作業は、いつもお一人でされてるんですか?

 

里恵 そうなんです、私一人で瓶詰めまでやっています。
「米粉むしぱんミックス」とかだと手伝ってもらうこともあるんですけど、トマスコはないですね。

 

ー 瓶やパッケージのデザインまで里恵さんがされていると伺い、驚いた!ハト畑さんのデザインは、どれもホッと柔らかい気持ちにさせてくれて、とても素敵だ。
この青トマスコも、里恵さんが考えられたんですか?

 

里恵 元々他の人が考えて作ってらっしゃったんです。
青トマトで、唐辛子入れて。
私達も、最初は秋に残ってしまった青トマトで作っていたんですけど、段々とそこにハーブとか入れるようになって。
今はトマスコ用も含めてトマトを栽培するようになって、割と気楽に作っていますね。
青い段階でトマスコ用に収穫したり、トマスコが作れなくても赤くなったらトマトとして売れるし。

 

ー ここに着いた時から思っていたんですが、トマトもですし、それ以外の食材も本当に綺麗ですね!

 

里恵 そうなんですよ。
やっぱりこの食材の元気さを届けたい!と思っていて。
今年のトマトはめっちゃ固くて良いです!
固いとトマスコにした時に、トマトの食感がシャキッと残るんですよ。
柔らかいとシャバシャバになっちゃう。
出来れば、色も綺麗に、シャキシャキも残しつつ作れたら良いなぁって。

結構ハーブも沢山入れてますね。辛いのが苦手な方や、お子様にも食べていただきやすいと思います。

 

ー 毎年私自身もお世話になっている青トマスコ。食べたことのある方なら共感していただけるであろう、あのやみつきになる味が、本当に美味しい。
トマスコはいつから商品としてあるんですか?

 

里恵 もう多分10年ぐらいになると思います。最初からありますね。

 

ー ロングセラー商品ですね!トマトを使った加工品って、色々ある中で、トマスコに落ち着いた理由はあるんですか?

里恵 元々私は調理とかをやっていた訳では無いので、もっと上手な人がいっぱいいるから…笑
ハト畑の加工品は素材勝負です。
トマトソースも作っていますが、たくさんの商品があって、でもトマスコ的な商品はハト畑のしかまだみたことないです。
だからオリジナルということで、トマスコがメインになりました。
あとは、トマスコが人気っていうこともあるかな。

 

ー トマトを切った後は、煮込んでいくんですか?

 

里恵 そうですね、出来るだけ火は入れないようにしてるんですけど。
この後、他の食材を洗って、瓶も洗って…そこから火を入れる感じですね。
一日がかりですね!
大体1回に80本ぐらい作ってます。
もっと増やすと、火が入り過ぎちゃったり、手間もかかるし…難しいですね。
でも、トマスコは結構割の良い商品なんです。
米粉むしぱんミックスとかだと、米粉を私が合わせてるんですけど…うん、トマスコで頑張って稼ぎたいと思ってます。笑

 

ー そんな人気商品の青トマスコだが、やはりトマトを使うため、加工できる時期も限られているようだ。
大体9月ぐらいまでだったり…全然作れなくて。もっと作れたら良いんですけどね。

里恵 ただ、今年のトマスコ!っていうように、シーズン初めは辛くなくて、段々辛くなっていきます、っていうのも良いかな?って思っていて。
やっぱり味の安定っていうのがすごい難しいんです。青唐辛子は、時期によって味が全然違って。

シーズン初めは全然辛くなくて、段々辛くなっていくんです。
本当は辛くない時期に、お酢で漬けたりして辛さを調整したら良いんでしょうけど、私はそこまでやってなくて。笑

 

ー トマスコは、★印で辛さがわかるようになってますが、これはどうやって決めてるんですか?

 

里恵 家族会議で、「これは★1かな?★2かな?」なんて言いながら、決めてます。笑

 

ー トマスコ以外に、今後考えてらっしゃるものはありますか?

 

里恵 唐辛子の調味料を作りたいなと思っていて。
タバスコとか、チリソースとか、そんな感じの調味料ってありますよね。
トマトの時期が終わった後に、青唐辛子が余るんですよ。それで何か出来たら良いなぁって。

 

ー ハト畑さんから、近い未来にまた新たな商品が生まれるのが楽しみだ。

 

 

 

 


(中編へとつづく)

 


【 マーケットの向こう側 】vol.4 田原ナチュラルファーム 後篇 福井佐和

 

NARAFOODSHEDと五ふしの草の共同制作で特別連載。

 

食べることを深く知り、考え、作り手や届け手、食べ手の思いを聞くことをテーマに、
街のファーマーズマーケットやファームスタンドがガイド的に寄稿、連載するルポルタージュ「マーケットの向こう側」。
マーケットや、地域の農家さん、関係する八百屋さん、繋がるいろんな作り手、食べ手の方々の裏側というか、奥行きに触れていただけたらと思います。
田原ナチュラルファームの最終会、後編です。

 

/ 聞き手: 三宅翔子 / 写真:中部里保 /編集: 榊原一憲

 


 

もともと“結い”っていうのは農業で「助け合い」という意味

 

ー 個人の力では難しいことも、仲間で力を合わせることで少しずつでも動かしていける。次に案内してもらった「ゆいのいえ」に対する佐和さんの想いにも繋がっていくことになる。製茶工場から車で少し離れたところに、その場所はあった。「ゆいのいえ」の周りには、茶畑や、菊芋畑が広がっていた。

佐和 ここは、13〜14年前には借りてたかなぁ。
もともと大阪の方の土地やったんやけど、縁があって借りて。
お茶と畑を両方出来るスペースが欲しいなと思ってたから。
この小屋が「ゆいのいえ」で、手作りなんです。
もともと“結い”っていうのは農業で「助け合い」という意味って、畑の先生である阿藤先生から教えてもらって、まさしく私って「結い」で農業続けさせてもらってるなって思ったんですよ。
だから、お茶にも「ゆい」っていう名前を付けてたりするし、ここの小屋も「ゆいのいえ」って名付けようと思って。
ここは、最初畑の友達の男の子と、一緒に作ったんです。
古材をもらったり、石は河原で拾ってきたりして。

 

 

 

ー とても可愛い小屋は、まるで絵本に出てきそうな雰囲気。所々にステンドグラスもあしらわれていて、そのなかには「CHA」や「ユイ」の文字も。可愛い。
ステンドグラスも知り合いの奥さんに教えてもらって作ったんですよ。

佐和 小屋の中はこんな感じで。畳は貰いもん。笑
土を練って、竹も割いて、作っていきました。
それで10年ぐらいかけて、漸くここまできたんやけど、なかなか進まへんかって。
そうこうしてたら、昨年高校時代の同級生が子供さん達と一緒に来てくれて、お茶の景気が悪い話をしたら、「ここでイベントやろうや!」って言ってくれて。
その子は、数年前にたまたま再会して、5年ぐらい前からイベントでお茶売らせてほしいって言ってくれてた子で。
それで、この度7月にここで「おうちごはんっていいね」っていうイベントを二日間やったんですよ!
その友達が考えた企画なんやけど、一日目はマルシェで。
手作りのクッキーとか陶芸の瀬戸物とか。
甘酒もあったり、村のお弁当もあって。
二日目は、朝にここで朝ごはんを作って、お客さんに食べてもらうっていうのもやりました。
茶粥作って、具沢山味噌汁作って、天ぷらもここで揚げて、すももをデザートに出して、お茶の飲み比べも…。

 

ー こんな自然いっぱいの場所で、盛り沢山の朝ごはん…想像しただけで幸せな気持ちになる。笑

佐和 やっぱり現代人は疲れてる人が多いから…。
ここでゆったりとした時間を過ごしてもらえたら、そういう場所にここをしていけたら良いなと思ってます。

 

自分を迎えてくれた場所っていうご恩みたいなものがある

 

ー 今後、何かやっていきたいことはありますか?

佐和 もちろん、個人の「田原ナチュラル・ファーム」は一生懸命やるんですけど、それよりもなんか地域とか村のことかな。
やっぱり高齢な人ばっかりやったら、新しいことをやり始めるパワーもないから…。
例えば、私はやま里市場のスタッフもやってるんやけど、そこでマルシェをやったりとか、地域を盛り上げることに、今は自分のパワーも持っていってる感じかな。
ここに住んでて良かったな〜とみんなが思えるような活動を、これからまたやっていきたいです。
「田原ナチュラル・ファーム」の屋号を付けた時も、絶対“田原”は付けようと思ったんよね。
田原をもっと盛り上げたいとか、自分よりも田原を知ってもらいたいっていうのがあって。
やっぱり自分を迎えてくれた場所っていうご恩みたいなものがあるから…だから絶対“田原”は屋号に入れたかった。

 

 

 

ー 佐和さんの、この地域、田原への愛を感じた。

 

佐和 やっぱり、それがまた自分にも返ってくるんですよね。
今の40代50代が、自分も楽しみながら農業なり何かに打ち込んでる姿を下の子たちに見せていかないと…きっと田原という場所自体に、誇りとかそういうものを持たずに大きくなって、結局出て行ってしまうと思うし、それは辛いというか。
だから、今自分が楽しんで一生懸命やってる姿を見せて、そういう姿をまた継いでいけたら、自分の幸せに返ってくると思ってます。

 

ー 最後に、マーケットに来てくださるお客さんに、何か伝えたいことはありますか?

 

佐和 やっぱり暮らしの中で、もう少しお茶を飲んでもらえたら嬉しいかな。
春のお茶とか夏のお茶とか、季節によって全然違うしね。
例えば、ほうじ茶は身体を温めてくれるし。
梅雨の時期に刈り取った青い番茶、青番って呼ばれてる少しごわっとした番茶は、ちょっと渋めやから、汗かいた時にスカッとして身体を冷やしてくれたりね。
その季節の身体に合わせたものを選んで、飲むと良いよね。

 

ー その季節に自然が作り出してくれるものは、その季節の人間の身体にも負担なく染み渡る。もちろん、農家さんの営みがあってこそだけれど、改めてそう気付かせてもらった。いつも明るくパワフルな佐和さん。その明るさの裏には、農業を始められた頃からの色々な長い苦悩も沢山あるのだろう。ただ、そのキラキラと輝く佐和さんの瞳は、まっすぐ未来の世界を見ていた。そして、今回の貴重なお話から、私もほんの少しだけ、その世界を見せていただけたような気がする。佐和さんイチオシのほっとやさしい和紅茶チャイを飲みながら、じんわりとそう思った。

 

 

 

 


(おわり)


【 マーケットの向こう側 】vol.4 田原ナチュラルファーム 中編 福井佐和

 

NARAFOODSHEDと五ふしの草の共同制作で特別連載。

 

食べることを深く知り、考え、作り手や届け手、食べ手の思いを聞くことをテーマに、
街のファーマーズマーケットやファームスタンドがガイド的に寄稿、連載するルポルタージュ「マーケットの向こう側」。
マーケットや、地域の農家さん、関係する八百屋さん、繋がるいろんな作り手、食べ手の方々の裏側というか、奥行きに触れていただけたらと思います。
今回も田原ナチュラルファーム、福井佐和さんで中編です。

 

/ 聞き手: 三宅翔子 / 写真:中部里保 /編集: 榊原一憲

 


 

神様と人を繋ぐ扉

 

ー 製茶工場の中を隅々まで案内してくださる佐和さん。立派な機械ばかりだからこそ、大変なこともあるとのこと。


佐和
 
この機械代がまた大変やからね〜、メンテナンスと。
ほんまに何の為にお茶作ってるか、わからへんようになっちゃうんですよ。
機械代を払う為に農業してるんかなって…。
機械は全部特注やから高くて…例えばこれやと400万円ぐらいします。
壊れる時は、急にガクッと動かなくなるからね…。
安全に使えるようにもしとかなあかんし、こまめにメンテナンスするようにしてます。

ー 煎茶や紅茶の加工の流れとともに、色についても教えてもらった。


佐和
 
煎茶は緑色、紅茶は茶色。
日本人は煎茶の緑色にすごいこだわったみたいで、葉っぱと同じ緑色で飲みたいってなったみたい。
“みどり”っていう言葉は、“み”が「神様」“ど”は「扉」“り”は「人」らしくて。
「神様と人を繋ぐ扉」っていう意味が“みどり”らしくて、そんな神秘的な尊いものを日本人は大切にして、緑色にこだわったんちゃうか?って教えてもらったことがあります。

 

ー 繊細な部分までこだわるところ。日本人らしさを感じた。その反面、現在は日本人の日本茶離れや、ペットボトルの普及でお茶の価値が下がったり…なかなか厳しい現実もあるそうだ。


佐和
 
もともとここの工場は、最初は11人で使っててん。
でもみんな不景気で辞めていったりしてね…農協さんのところの集団の工場に入っていったり。
今は、うちともう一軒の農家さんの二軒でまわしてるんやけど、二軒で使うにはかなり大きいねん。
それだけ油もいるし、経費もかかるから大変で。
無農薬でお茶作ってる農家さんで、時々使いに来てくれる人もいたりするけどね。
個人で加工できる工場も、段々減ってきてるのもあるかな。
農協さんのところの工場なんて、絶対個人には貸してくれへんし。
私も段々と工場のある有難さがわかってきたかな。
独身の頃は、工場を使うのも「ラッキー!あいてた!」ぐらいにしか思ってなかったけど、この工場が動いてることはすごいことやな〜っていうことが少しずつわかってきて、今はこの工場を遺していきたい!っていう思いが強いんです。
知り合いの農家さんの息子さんで、本格的に農業をやり始めた子もいるけど、若い子一人でここを使うのは絶対厳しいから、その子自身も悩んでるみたいで。
お茶が景気良くて、作れば作るほど良い!っていうのなら良いんやけど、これだけ大きい工場をまわすのは、今はやればやるほど赤字やからね…。

 

 

 

製茶工場は存続の危機

 

ー 茶農家さんの減少により、製茶工場は存続の危機。それに加えて、製茶した茶葉を出荷する時にも苦悩があるそうだ。

 

佐和 個人で売る分だけじゃなくて、農協さん経由で茶商さんが実際に来て、茶葉を見て値段をつけていくこともあるんやけど…その値段がほんまにもう安いから…。
みんなそんなんやとお茶作らへんで…っていうような値段なんですよ。
かぶせ茶やとね、被せで黒い幕をしてさ、それだけでも一苦労やのに、収穫する時にまたその幕を取って、何百万もする大型機械で刈り取って、それで出来たお茶の値段がこれか…って思うと…ねぇ…。

ー かなり手間ひま、コストをかけて大切に作ったものがそんな扱いをされると、悲しいですよね…。


佐和
 
うん、それがすごい悔しくて…。
それで3年ぐらい前に、ちょっとイベントを企画しよう!と思って。
田原のやま里市場に、お茶農家さん5人ぐらい呼んだり、知り合いのケーキ屋さんとかパン屋さんに自分のお茶を渡して、お茶の商品を開発してもらったりして、村でマルシェをしてるんです。
それが「田原cha茶chaカーニバル」っていうやつで。

ー 可愛い名前ですね!


佐和
 
そうなんですよ〜!笑
一年に一回やってて、今年(2023年)は11月19日の日曜日にやるんです。
お茶の飲み方講座とか、村の人のハーブと和紅茶を使ってオリジナルのお茶を作ったりとか、お茶のイベントを通して、暮らしの中にお茶をもっと取り入れてもらえるようになったら良いなって。

ー すごく楽しそうなイベント!是非行ってみたいと思った。製茶工場の最後に、時代を感じる茶箱を見せてもらった。かっこいい!


佐和
 
昔はこういうの木の箱でお茶を保管してて。
中は金属になってて、湿気とかも通さないようになってます。
誰のものかわかるように、あんな風に名前を書いてて。
昔はこのあたりは、お茶をやってない人のほうが少なかったんですよ。
ほとんどの人がやってて、出荷場に持っていく茶農家の軽トラが数珠つなぎにずら〜っと並んで順番待ちしてる時代もあったんです。

 

 

 

 

 

ー 今とは全く異なる、お茶が盛んだった時代の話に驚いた。それってどれぐらい前の話ですか?


佐和
 
80年代とかかな〜もしかしたら90年代もそうやったかもしらんけどね。

ー 佐和さんがここで茶農家を始めた頃は、周りの茶農家さん達はどんな感じの人が多かったんですか?


佐和
 
私世代の女の人が園主としてやってる人って居なかったと思います。
その頃は、大体50代〜60代ぐらいの御夫婦がメインでやってたかな。
その人達が、今80何歳とかになってはったりとか。
もう高齢やから、その人達ももう辞めるかどうか?ってなってきてたりするね。
年齢的にも大変やから、もうそういうおじいちゃんおばあちゃん達は、かぶせ茶を辞めて、露地栽培にしてたり。
お茶の値段は安くなってしまうけど、それでも土地を守っていきたい!って言ってやってはるね…。
奈良県は、新規就農する子には「苺」を勧めるみたいで。
最初から何千万とか借金して、ハウスとか設備投資をせなあかんけど、今は苺は景気が良いしいけるよ!って言われるらしい。
でも結局体力面とか、上手くいかなかったりで、辞めていってる子はおるみたいで…借金だけ残ってるんやろね…。

 

ー 世代ごとに、色々な問題があるようだ…。では、いつもとても明るい佐和さんですが、佐和さん自身が今困ってることや悩んでることはありますか?


佐和
 
やっぱり現代のお茶離れから、茶農家さんが減ってきてることが一番かな…。
茶畑も荒れていくし、それを見るのは辛いかな。
でも、個人の力ではやっぱりどうにもできないから、少しずつでもイベントをやってみたりとか、仲間を募ってアイデアを出し合ったりして、そこからまた違う展開に繋げて、動かしていけたら良いんですけどね。

 

 

 

 

 


(後編につづく)


【 マーケットの向こう側 】vol.4 田原ナチュラルファーム 前編 福井佐和

 

NARAFOODSHEDと五ふしの草の共同制作で特別連載。

 

食べることを深く知り、考え、作り手や届け手、食べ手の思いを聞くことをテーマに、
街のファーマーズマーケットやファームスタンドがガイド的に寄稿、連載するルポルタージュ「マーケットの向こう側」。
マーケットや、地域の農家さん、関係する八百屋さん、繋がるいろんな作り手、食べ手の方々の裏側というか、奥行きに触れていただけたらと思います。
今回は奈良市田原地区の柱。田原ナチュラルファーム、福井佐和さんです。

 

/ 聞き手: 三宅翔子 / 写真:中部里保 /編集: 榊原一憲

 


 

人もお茶も野菜も虫も、みんな「結“ゆい”」でつながる。

春日山の東側、緑広がる田原の里に自然農法を実践している大和茶畑、「田原ナチュラル・ファーム」がある。

奈良市中心部から車でわずか20分ほど…こんなにのどかで自然の溢れた場所があるとは知らなかった。

一面緑の綺麗な茶畑、清々しい夏の青空、つい呼吸も深まり、見惚れてしまっていた。

そんな中、太陽のような明るい笑顔が素敵な、代表の福井佐和さんが迎えてくれ、早速茶畑に案内してくださった。

茶畑までの道中、竹林を抜けていく。

しっとりと潤いも感じる澄んだ道、まさにジブリの世界のようだった。

 

きっかけは野良旅

 

ー 農業を始めたきっかけはあるんですか?


佐和
 
若い頃は、もともと百貨店で働いてたんです。
特に不自由のない生活をしていたんやけどね…その頃偶然本屋さんで「あなたが選ぶ生き方」という本を見つけて、ピンときてすぐ買って帰りました。
そこに鹿児島のえらぶ島(沖永良部島)の百合の刈り取りのお手伝い募集の記事があって、すぐに行きたい!と思って。
親は最初びっくりしてたけど、たまたま同じ奈良から同年代の女の子が行くことになっていて、親もそれならいいよと送り出してくれて。
そこで5日間ぐらいファームステイしたんやけど、すごい楽しかってね。笑
それをきっかけに、全国色々な場所へ農業体験に行ったかなぁ。ジャガイモ掘りにも行ったりね。野良旅やね!笑

奈良の歌姫農園にも通ってて。
最初はオーガニックレストランでバイトしながらの家庭菜園からの始まりやったけど、2002年から農業を始めて、2004年から茶農家になったかな。
意外とバイトをしていた頃のほうが、体力面も含めて大変やって。
時間を農業に100%使われへんかったからね。

 

ー 何故いろんな農作物がある中で、お茶に辿り着いたのですか?

 

一年に一回新茶の刈り取りの時期に、手伝ってと言われたのがきっかけかな。
もともと野菜を育ててたんですけど、お茶もいいなぁと思って。

 

 

 

ー そうなんですね。では、何故田原で始められたんですか?

 

佐和 この田原の土地を選んだのは、歌姫農園の阿藤先生に勧めてもらったのがきっかけです。
当時は新大宮に住んでたから、田原やと近いし、お茶やりたいんやったら、君は奈良の子やから大和茶の産地が良いんちゃう?って言ってくれて。
月ヶ瀬とかやとちょっと遠いし、田原ちょうど良いんちゃう?って。
それで阿藤先生と二人で田原に見に来た時に、偶然ファブリルっていうギャラリーを見つけて、オーナーのいずみさんに出会って、事情を説明したら土地を紹介してくれはって。
そこから色々繋がっていったって感じかな。

 

ー 上から見下ろす茶畑もまた迫力があった。佐和さんは、ご主人の福井豊さんとともにお茶の栽培に取り組んでいる。

 

佐和 ここから半分が私の畑で、ここから半分が主人の畑です。
もともとお互いこの地域のお茶農家をしていて、畑も隣同士で、それで出逢って結婚したんやけどね。
当時は主人は慣行栽培をしていて、私は自然農法で。
主人は、一部分を農薬や化学肥料を使わない栽培方法に変えてくれました。
品種はやぶきたやね。

 

 

ー ご主人の畑と比べて、佐和さんの畑はとてもワイルドだ。


佐和 
これも手を入れなあかんのやけど、そこまで手がまわってなくて、今はこんな感じで。笑
一般的に、お茶は一年で四回刈り取りをします。新茶、番茶、二番茶、秋番茶と。
でも、私は刈り取りは二回だけで。
あとは、見ての通り、田原の茶畑は急勾配が多くて。
静岡とかやと平坦やねんけどね。
刈り取る時にここを乗用の刈り取り機で降りていくんやけど、結構危険で…怪我したり、亡くなる方もいるみたいで。
この前も知り合いの農家さんが、何かに引っ掛かって、ごろんごろんってなったみたい。

 

ー ここを刈り取り機で下りるんですか!?と驚くような急勾配だった。危険も伴う茶農家さんの仕事。ワイルドな茶の木の葉に、朝露が綺麗に輝いていた。茶畑の後、製茶工場に案内してもらった。外観から味のある建物。足を踏み入れると、想像以上の広さに驚いた。歴史を感じる機械がずらりと並ぶ。おぉ〜!と思わず声が出た。ここは絶対残したいねん〜と佐和さん

 

佐和 畑で刈り取った葉っぱを乗せた車をそのまま横付けして、製茶工場に入れれるようになってます。
煎茶を作る時は、葉っぱを刈った瞬間に発酵がじわっと始まって熱くなってくるんで、早く工場に持ってきて加工していきます。
大体5〜6時間で、生葉から荒茶の形にできるかな。
この工場では、荒茶の段階までやってて、百貨店で売ってるような、針のような形のお茶にまで加工する場合は、また別の工場に持って行って大きさを選別したりしています。
でも、私は自分で売る時は、そこまでしなくて、荒茶の状態で売ってて。
大きいのや小さいのとか、色んな部分が混ざってるほうが美味しいよ〜と言ってくれはる人も割と多いしね。

 

 

 

 


(中編につづく)